佐々木常夫 オフィシャルWEBサイト


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管理職の心構え
 
(その27)仏の心で鬼になる

2022.6.22

「部下とは真剣勝負せよ。能力より高めの目標を出して、尻を蹴り飛ばして締め上げる。その苦しまぎれのあがきの中から、部下は必ず新しい飛躍の途を発見する。そして、それが彼の成長と自信につながっていく」
これは、私が尊敬する会社の先輩、Aさんの言葉です。Aさんは部下を褒めるということを滅多にしない人でした。いつも叱ってばかりいました。
しかし彼の部下たちはAさんから叱られると「自分もあの人から叱ってもらえた」と喜んだものです。なぜなら、Aさんはモノになると思った人物しか叱らなかったからです。

私が仕えた東レの元社長のBさんは、1985年のプラザ合意で急激な円高が進行し、東レの繊維事業が赤字を余儀なくされた際、繊維事業の担当役員として2年で黒字化を果たしました。その手腕を買われ、末席常務から14人抜きで社長に就任した人物です。
当時私は42歳の課長職で、経営企画室の担当としてB社長に仕えました。
Bさんは極めつけの鬼上司でいつも叱り飛ばしていました。酒の席でも名指しで延々と叱りますのでずいぶんまずい酒を飲んだものでした。
ところが、通産省(現経産省)のトップクラスと東レの役員クラスが食事をしたときのこと。お偉い方がズラリと勢揃いした場面で「この佐々木という男はなかなかできる男だよ」と褒めてくれたことがあります。もちろんこの一言で私のモチベーションは一気に上がったものでした。

私の場合は、部下に対して褒めるのが8割、叱るのが2割で接してきました。
それが私のやり方だからです。私は人を見るときに、欠点よりも長所を見るようにしていたので、自然とほめることが多くなります。ほめることと叱ることはまったく正反対のことのようですが、実はそういう表面的なことはあまり重要ではありません。部下を成長させたいという「思い」があるかどうかのほうが大事です。

「心を鬼にする」という言葉がありますが、上司の叱咤の背後には、部下に対する愛情と責任感がなければなりません。
愛情を持って叱るとき、人は心を鬼にする必要があります。叱られて喜ぶ部下はまずいないでしょうし、叱る上司だって気持ちのいいものではありません。しかし、間違った部下をきちんと叱れないようでは、上司失格ともいえます。きちんと叱るということは自分の感情で叱り飛ばしているだけのパワハラとは次元が異なります。部下の成長のためという思いがあれば、上司がどれほど厳しい言葉をかけたとしても部下は納得してついてくるものです。
大切なのは、自分の中に部下に対する「熱い想い」があるかどうかで、それがあればきっと周りの人には伝わるものです。


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