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こんなリーダーになりたい

23. セーラ・マリ・カミング 交渉力とは粘り強さ


少し古い話であるが、月刊誌「日経ウーマン」が主催する「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002年大賞」にセーラ・マリ・カミングスが選ばれたことがあり、興味溢れるこの女性に私は長野県小布施町まで訪ねて行ったことがある。
私の会社の機関紙の新春インタビューに出てもらうためであったが、今まであった人の中で最も刺激的な人の一人であった。
彼女の特質は「戦略あっても計算なし」「悩む前にまず行動」という二つに言い尽くされる。そのひたむきさと行動力はあきれるほどで、大袈裟に言うならば私たちの数倍生き抜く力が大きいのではないかと感じるほどだった。

長野駅から電車で北へ30分ほどのところにある小布施町にセーラが来たのは今から20年前。17代続いた老舗の「枡一市村酒造場」という会社で仕事を始めたセーラは「ここに自分の居場所がある」と感じ、企業改革や町起こしのため、次々に大仕事をやり抜いていった。
最初に手掛けたことは、小布施町ゆかりの葛飾北斎を町起こしのシンボルにしようと、従来ヴェニスで開催されていた国際北斎会議を小布施に招致することだった。北斎は日本よりむしろ欧米での評価が高くアメリカやイギリス、イタリアにその研究家が多かった。
それを’98年の長野オリンピックの年でかつ北斎没後150年という節目の年に小布施で開こうというのがセーラの狙いであった。
しかし東京での開催ですら困難なのに長野県の小さな町小布施での開催は無理という周囲の評価であった。セーラはまず北斎研究家の春原高次の門をたたき勉強に次ぐ勉強を重ねた。そして欧米に飛び、ベニス大学、ハーバード大学などの北斎研究者を訪ね歩きプランを説得し、日本の関係者をも巻き込み持ち前の実行力で第3回北斎国際会議を実現させてしまった。
また、長野冬季オリンピックではアン王女と英国選手団のいわば民間特命大使役を担い、選手団へのおみやげとして五輪カラーの蛇の目傘150本を3カ月以内に作ろうと思い立つ。
蛇の目傘を作るといっても、骨組みを作る人、和紙を張る人、傘の表面に漆を塗る人と多くの人手と材料と時間がいる。だから周囲は無理だというのにセーラは片っ端から和傘屋に電話をかけ、30軒に断られながらも粘り腰で交渉し、ついに京都の内藤商店を口説き落としてしまった。
一方、枡一市村酒造が酒蔵を改造した和食レストランを作ろうとしたことがある。当初は料理人の要らないレトルト主体のメニューを考えていたものを「蔵人が丹精込めて作る酒屋のレストンにレトルトの料理などもってのほか」と反対し、17代続いた酒屋にふさわしい店作りを提案した。
設計には著名なアメリカ人デザイナーであるジョン・モーフォードに香港まで出掛け頼み込んだがあまりの熱意に負けモーフォドは引き受ける。モーフォードとセーラは外壁、内装、厨房設備、家具などすべてオリジナリティを追求し、米は「かまど」で少しおこげが付くように設定した。賄は全員男性で、枡一市村酒造の藍の印半纏に股引、足元は足袋に雪駄と日本の男衆伝統のユニフォームとした。
そのレストラン「蔵部(くらぶ)」は町の店は通常5時で閉店するという常識を破って10時まで営業し、年中無休という究極の「顧客第一主義」を貫き、多くのお客を呼び寄せることに成功した。
この事業は当初予算の2500万円を10倍も上回る規模になってしまったが、その評判がお客を呼び、結果は投資を回収できる実績を上げた。
「私に何か能力があるとすれば、それは粘り強さです。交渉力とは粘り勝ちする能力のこと」とセーラは言う。

セーラはスポーツ大好き、フレンドリーで華やか、熱しやすく冷めやすいがツボにはまると驚くべき集中力を発揮する。
セーラの驚異的な粘り強さの活躍をいくつか紹介したが、実はその陰にはこの小布施の街の人たちの大きな力が働いている。
セーラがこの町に来る前に小布施の人たちはこの美しい風景と澄んだ空気のある町に「文化」を導入し、商業・サービス業を含めた第三次産業の可能性を求めた動きをしていた。
行政、法人、個人の地権者三者が対等な立場で参加し街並みを整えるという修景事業をしていたのだ。その結果、小布施への訪問客が急増した。そうした動きが一段落し、次の一手を模索していたところにセーラの登場であった。
セーラはやること成すこと、かなり乱暴で、思い立ったら即実行、あだ名は「台風娘」、周囲を振り回す力はものすごい、おそらく組織という仕組みには合わない人材なのだろう。しかしその発想力と実行力は他の追随を許さない。
私は「リーダというのはその人といると勇気と希望をもらえる人」と定義しているがセーラはまさにそうしたリーダーに当たる。
酒造りではセーラはまず欧米人としては初めて「利酒師」の資格を取り、一般のお酒とは差別化された新酒「スクエアワン」を開発した。
酒造りは半世紀前までは木桶で作っていたが、減酒することと手間暇かかるということでホーローに代わってしまっていた。セーラは「木桶仕込み」の酒を作るべく木桶職人を見つけ出し、木桶に合った奥信濃の米を探り当て、できたお酒を高付加価値品として高価格でインターネット中心で売り出し、従来赤字であった酒造部門を黒字にしてしまった。
このあとセーラは「木桶仕込み保存会」という組織を立ち上げている。
一方、町の人達はコミュニケーションの場を求めているし、必要だと考え、毎月一回
ゾロ目の日(8月8日とか10月10日)に「小布施ッション」を開催し、著名人を講師に呼ぶなど、知的で遊び心に満ちたイベントの立ち上げにも成功した。
私の会社の講演会にセーラを招いて講演してもらったことがある。
その次の日、セーラから2か月後の12月12日に私に小布施ッションで講演してほしいという電話があった。さすが、即実行のセーラだ。
私は家内と二人で小布施まで出かけたが、講演は栗羊羹「小布施堂」の工場の3階の多目的ルームにいっぱいの人、終わっての小布施堂での立食パーティの内容は小布施ならではの料理だった。
次の日、素敵なイタリヤ料理の朝食をとったあと、長野駅に向かって乗ったタクシーでどれほど素敵な旅であったかを家内と話をして少し沈黙があったその5分後、携帯が鳴る。セーラからだ。「昨夜はご苦労さまでした。よく寝られましたか。お食事はお口に会いましたか」
絶妙なタイミング、人をどんなときどう対応すべきかを熟知した顧客重視の気配りだが、セーラの場合自然にそれができるところがすごいところだ。

彼女の持論は「日本の地方には本当に古き良きところがたくさんあって、それを引き出し、地方の活性化につなげなくてはならない」というものであり、小布施はその成功例といえる。つまりセーラが日本を見つけ出したわけだ。
ただ彼女のひたむきさや行動力をその周囲の人達が理解し、ひとつひとつ夢を実現していったことが成功の背景にある。そういう意味では日本がセーラを見つけたわけだ。
セーラがアメリカのペンシルバニアにいたとしたら、これほど活躍しただろうか。もちろん、生来の明るさと行動力で何がしかの結果は残しただろうが小布施ほどではないだろう。
これは、1人の人間に特長があってもその人を活かし何かを実現させるのは、その周りにいる人達であり周りの環境だともいえるのではないだろうか。
リーダーというのは周囲が生み出すものでもある。


12. 小倉昌男 当たり前を疑え 13. スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣 14. 吉田松陰 現実を掴め 01. 土光敏夫 無私の心 02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力 03. 上杉鷹山 背面の恐怖 04. 西郷 隆盛 敬天愛人 05. 広田弘毅 自ら計らぬ人 06. チャーチル 英雄を支えた内助の功 07. 毛利元就 戦略とは「戦いを略す」こと 08. マザー・テレサ 最も神の近くにいる人 09. ハロルド・ジェニーン プロフェッショナルマネージャー 10. 孔子 70にして矩をこえず 11. 栗林忠道 散るぞ悲しき
目次
01. 土光敏夫 無私の心
02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力
03. 上杉鷹山 背面の恐怖
04. 西郷 隆盛 敬天愛人
05. 広田弘毅 自ら計らぬ人
06. チャーチル 英雄を支えた内助の功
07. 毛利元就 戦略とは「戦いを略す」こと
08. マザー・テレサ 最も神の近くにいる人
09. ハロルド・ジェニーン プロフェッショナルマネージャー
10. 孔子 70にして矩をこえず
11. 栗林忠道 散るぞ悲しき
12. 小倉昌男 当たり前を疑え
13. スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣
14. 吉田松陰 現実を掴め
15. キングスレイ・ウォード 人生に真摯たれ
16. 本田宗一郎 押し寄せる感情と人間尊重
17. 徳川家康 常識人 律義者 忍耐力
18. ヴィクトール・E・フランクル 生き抜こうという勇気
19. 坂本龍馬 謙虚さゆえの自己変革
20. 浜口雄幸 男子の本懐
21. 天璋院篤姫 あなどるべからざる女性
22. 新渡戸稲造 正しいことをする人
23. セーラ・マリ・カミング 交渉力とは粘り強さ
24. エイブラハム・リンカーン 自分以外に誰もいない
佐々木のリーダー論

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