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こんなリーダーになりたい

01. 土光敏夫 無私の心


土光敏夫は石川島播磨重工業や東芝の社長のあと経団連会長や第2臨調会長と次々難しい仕事を引き受け実績を残す一方、その質素な生活ぶりで「メザシの土光さん」としてつとに知られており、経済界のみならず政界からも戦後最も尊敬されたリーダーの一人といってもいい人物である。
作家の城山三郎は土光を「一瞬、一瞬にすべてを賭けるという生き方の迫力、それが80年も積もり積もると、極上の特別天然記念物でも見る思いがする」と評している。
ソニーの創業者井深大も「今の日本で最も尊敬できる人は誰かと聞かれれば、無条件に土光さん」と絶賛している。(「清貧と復興」出町譲 文芸春秋)
土光敏夫の凄さは3つある。
まずなんといってもだれも真似ができない凄さは、その「無私」の思想にある。何事にも「私」がない。すべての発想や行動の原点は「己」ではなく「公のため」即ち「世のため人のため」にある。
土光の住んでいた家は日本が太平洋戦争に突入する寸前に建てられたものでわずか3部屋しかない平家建て。この小さな家に石川島播磨重工業社長、東芝社長、そして経団連会長になっても50年近く住み続けた。生活は極めて質素で長い間月3万円で暮らし、経団連会長のころはさすがに10万円程度だったようだがまさに「清貧」の日々であった。
東芝の社長になったときはトイレ・バス付の社長室を撤廃し、役員の個室を4人部屋に変え、出張での付き人は無し、社用車は止め電車通勤を通した。
こうした土光の考え方は、母親の性格や躾によるところが大きく母親のいう「個人は質素に、社会は豊かに」を生涯通した。
最近、原発問題の起こった東京電力の会長人事が難航しやっと原子力損害支援機構の下河辺和彦氏に決まった。大手企業の元社長など有力候補は問題の重大さと見返りの少なさを考え、ことごとく政府の要請を断ったという。私はもし土光敏夫であれば東電の会長を引き受けたのではないかと思う。
なぜなら彼の行動の原点は「無私」にありいつも「世のため人のために生きる」ことで事態の困難さや見返りの軽重などはこの人の頭には存在しないからだ。
土光敏夫の2つ目の凄さはとことん「努力の人」だということだ。
土光自身は特別な秀才ではない。それどころか岡山中学、東京高等工業の間に4度受験に失敗している。またそのことを隠さないところがこの人の真骨頂、面目躍如たるところである。
「失敗は終わりではない。それを追及していくことによって、初めて失敗に価値が出てくる」「ぼくは学歴なんか問題にしない。そもそも学校というのは社会に出るためのウォーミングアップの場所に過ぎない」と言っている。
土光は朝は4時半に起き読経を30分唱え7時には出社する生活。夜の付き合いを避け、なるべく早く帰り、本を読むのが日課で、自らを鍛えることを終生忘れなかった。
座右の銘は「日に新たに 日々に新たなり」で昨日も明日もなく新たに今日という清浄無垢の日を迎える。今日という日に全力を傾けるという日々努力の人である。
「艱難汝を珠にす。そして艱難を自ら課し続ける人間のみが、不断の人間的成長を遂げる。我に百難を与えたまえ」といったというから言葉が出ない。
私は「人は仕事で自分が成長すること」と「世のため人のために貢献すること」が働く究極の目的だと考えているが彼はその二つの大事なことを具現化した。
土光の凄さの3.つ目の理由は、部下など周囲の人たちに溢れる愛情があったことだ。
彼の組織の周辺に対する深い愛情は、社長になるずっと前、若かりし一技術者時代から不変のものであった。
彼は、優秀かつモーレツなエンジニアだった。
石川島造船に入社後、手がけたのは船舶用タービンの開発であった。同社がスイス製の最新式タービンの輸入を開始したのを受け、ならば、それをもとに研究を重ね、純国産品を生み出してやろうと志したのだ。ドイツの科学雑誌をやまほど取り寄せ、それを読みこなしながら、日夜、試作に取り組んだ。睡眠時間は5時間。それ以外の時間は、すべてタービン開発に捧げる毎日だったという。
ところが、そんな多忙の合間を縫って、土光が続けていたことがある。「夜間学校」である。
仕事が終わると、やる気のある少年工を集めて、初歩の機械工学や電気工学を教えたのだ。自腹でうどんを振る舞っていたそうで、土光の優しさが偲ばれる。
ただし、それは決して少年工への愛情に発するものというだけではなかった。土光は、その動機を「彼らの能力をアップさせなければ、造船所の技術力も一流にならない」と考えていたのだ。
私が土光に強く共感することのひとつは周囲の一人ひとりの成長に気を配ったことである。
なぜなら、これは私自身大切にしてきたことだからだ。
私の長男は、自閉症をもって生まれ、幼年期は私は幾度も学校に行かざるを得ず、大変苦労したが、そのことはある意味私にとって恵みでもあった。
というのは、組織を任されると、まずはじめに”最も遅れている人”に意識がいくからだ。そして、なんとか彼らを育てたいという願望がわき上がってくる。これは、障害のある長男を授かって以来、私の習い性のようなものだ。
 世間では「2―6―2の法則」とよく言われる。職場で優秀なのは2割の人で、6割は普通の人、残りの2割は”落ちこぼれ”というわけだ。これは、一面の真実である。
 そこで、”落ちこぼれ”の2割をできるだけ早く異動させて、優秀な人材を獲得しようと勘違いする管理職が出てくる。しかし、そんなことをしても強い職場をつくりあげることはできず、新たな「2―6―2」が形成されるだけのことだ。
そもそも、人間の能力にはそれほど大きな差があるわけではない。いわば、100mを14秒で走るか16秒で走るか程度の差でしかないのではないだろうか。にもかかわらず、ほんの小さな差をことさらに取り上げて、「あいつはできる、こいつはできない」と評価をつけるほうがどうかしている。「こいつはできない」と評価された人がやる気をなくすだけだ。
そして、“落ちこぼれ”の2割を育てようとするリーダーのいる職場は、おしなべて士気が高い。なぜか?「このリーダーは、何があっても自分たちを見捨てない」という信頼感をメンバー全員が共有するからだ。
土光は幾度もの経営危機に直面したがそのたびに「社員は決してクビにしない」という方針で臨んだ。経営幹部には厳しいが従業員やパートに至るまで自分の家族のような目で接していた。
人間関係の基本は「思いやり」というのが土光の信条でありすべての人を活かすことを徹底したが、これこそ、リーダーの基本なのだ。
私は組織というものは「その人の強いところを引き出し、弱いところを隠す」ことが強みだと考えている。


目次
01. 土光敏夫 無私の心
02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力
03. 上杉鷹山 背面の恐怖
04. 西郷 隆盛 敬天愛人
05. 広田弘毅 自ら計らぬ人
06. チャーチル 英雄を支えた内助の功
07. 毛利元就 戦略とは「戦いを略す」こと
08. マザー・テレサ 最も神の近くにいる人
09. ハロルド・ジェニーン プロフェッショナルマネージャー
10. 孔子 70にして矩をこえず
11. 栗林忠道 散るぞ悲しき
12. 小倉昌男 当たり前を疑え
13. スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣
14. 吉田松陰 現実を掴め
15. キングスレイ・ウォード 人生に真摯たれ
16. 本田宗一郎 押し寄せる感情と人間尊重
17. 徳川家康 常識人 律義者 忍耐力
18. ヴィクトール・E・フランクル 生き抜こうという勇気
19. 坂本龍馬 謙虚さゆえの自己変革
20. 浜口雄幸 男子の本懐
21. 天璋院篤姫 あなどるべからざる女性
22. 新渡戸稲造 正しいことをする人
23. セーラ・マリ・カミング 交渉力とは粘り強さ
24. エイブラハム・リンカーン 自分以外に誰もいない
佐々木のリーダー論

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