マザー・テレサの本名は、アグネス・ゴンジャ・ボワジュで、1910年バルカン半島の中央部のマケドニアで生まれた。実業家でアルバニア独立運動の闘士であった父を持ち、優れた神父や修道女と家族ぐるみの付き合いがあり、幼いことから聖職者の存在を身近に感じていたという。
’29年にインドに渡り、‘46年に汽車に乗っていた時「すべてを捨てて最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたという。
‘48年からカルカッタのスラム街で、ホームレスの子どもを集めて、街頭で無料授業を行うようになる。‘50年には「神の愛の宣教者会」を設立。次いで「死を待つ人の家」「孤児の家」「ハンセン氏病患者の村」などを作る。趣旨に賛同した多くのシスターたちが参加した。
テレサは修道会のリーダーとしてマザーと呼ばれるようになる。
マザーがいたカルカッタは「カルカッタを見ずして人口問題を語るな」とまでいわれた都市であった。当時のカルカッタは人口1000万人、人口密度は3万人/Km2(東京の2倍)、スラム人口100万人、路上生活者10万人、ハンセン氏病36万人というひどさだった。
その献身的な姿勢とケアする相手の状態や宗派を問わないマザーたちの活動は、世界の注目をひき、インド国外への活動にも繋がった。マザーが亡くなったとき、神の愛の宣教者会のメンバーは4000人を数え、123ヶ国610か所に広がる活動になっていた。
’79年にノーベル平和賞を受賞したが、その式典でもいつもの質素なサリーを身にまとい次のようなスピーチをした。
「私は平和賞には値しません。でも誰からも見捨てられ、愛に飢え、最も貧しい人たちに代わって賞を受けました。晩さん会は不要です。その費用を貧しい人たちのために使ってください」
彼女にとってノーベル平和賞など、どうでもよかったようだ。自分は「神の愛の宣教者の一員に過ぎないと考えていた。
それにしても、マザーとシスターたちは、豊かな家と愛する家族を捨て、貧しい人と同じ生活をしながら働くことができたのはなぜだろうか。
彼女は「聖なるものになろうと決心することが大切で、そういう気持ちが自分たちを神に近いものにしていく」と言う。しかしそれは簡単なことではない。もちろん決心することは誰でもできるが、その決心は揺らぐことはいくらでもある。というかほとんどの人は揺らぎ、違った方向に行ってしまう。
マザーはどうして揺らがず初心を貫けたのだろうか・
マザーでも揺らいだときはあるだろう。しかし彼女にはキリストがそばにいた。何かに迷った時、苦しい時、祈ったときにキリストがいたのだ。そのことで初心に立ち返り貫き通せたのではないだろうか。
人は弱い存在である。しばしば迷うし欲も出る、わがままにもなる。そんなとき心を鎮め、きちんとした場所に自分を戻してくれるもの、それは神を信ずる心なのかもしれない。
マザーは「私は社会福祉や慈善のための活動なら、家も愛する家族も捨てなかった。私はキリストのためにしているのです。神に捧げた身ですから」と言っている。
私の書いているコラムは「こんなリーダーになりたい」だが、マザー・テレサに限っては「こんなリーダーにはなれない」というのが本音である。
それにしてもマザーほどではないにしても、歴史に刻まれるほどのリーダーとなった人には共通して、マザーのいう「神に捧げた身」といった宗教心にも近い「無私の思想」がある。
マザー・テレサは「貧しき人のために行動を」といった高い志を持っていただけではなく、なかなかのアイディアマンでもあった。
ローマ法王パウロ6世がインドからの帰国時、自分の儀礼用のリンカーンコンチネンタルをテレサに贈ったことがある。彼女はこの自動車10万ルピー(300万円)を商品に100ルピー(3000円)の宝くじを発行し、5000枚(1500万円)を売りさばきそのお金を貧しい人のために使った。
また、インド国内の移動が多いので、その節約のために航空会社に、自分が即席スチューアデスをするので、運賃を無料にして欲しいと頼み込み、さすがに航空会社は断ったものの、その後は彼女の航空運賃を取らなくなったという。
さらにマザーは、航空会社に掛け合って、機内食が残った場合、孤児たちのために払い下げてもらうなど、さまざまな知恵を出し活動の幅を広げていった。
マザーの会の活動拠点の驚異的拡大といい、斬新なアイディアといい、修道士にしておくにはもったいないほどの経営能力があり、マザーが経済界にいたら、さぞかし優秀なビジネスマンになっただろうと思う。
その活動を見ていて驚くべきことには、マザーやシスターたちに気負った気持ちも悲壮感もないことだ。
マザーは神に祈った「主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を、悲しみのあるところには喜びを、争いのあるところには許しを、絶望には希望を、理解されることよりも理解することを、愛されることより愛することを」
このような考え方を少しでも経営者や管理者が持ち合わせてくれれば、どれほど組織が活性化するであろう。
それにしても、どうして自分を捨てて貧しい人、体の不自由な人のために尽くせるのだろうか。
日本人の商社員の奥さんが、マザーの仕事のボランティアに数人参加していた。自分の生活の中で無理のない範囲で貧しい人たちに食事のお手伝いをする仕事であった。この人たちがインタビューに答えて「私たちはマザーのために協力しているのではありません。ボランティアが終わった後、困っている人たちのために働くことができたという充実感と爽快感があり、そういう気持ちを味わうために手伝っているのです。これは自分のためにしているのです」という言葉には重みがある。
私自身は、長いビジネスマン生活の中で「人は自分が仕事を通じて成長することと、誰かのために貢献する喜びのために働く」という信念を持ったが、ボランティアの奥さんたちはまさに貢献する喜びを感じて行動しているのだ。
’81年4月、マザーは来日し、1週間日本に滞在し、70歳とは思えぬほど精力的に会合や講演会に臨み、過密スケジュールの合間を縫って、東京台東区の山谷地区、大阪西成区のあいりん地区を訪問した。
「私はこの豊かな美しい国で、孤独な人を見ました。この豊かな国の大きな貧困を見ました。人間にとって最も悲しむべきことは病気でも貧乏でもありません。物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です」
あれから30年たち、現在の日本はその物質的豊かさすら脅かされているが、世界的レベルでみればそれほど嘆くこともない。問題は心の貧しさの方である。
人が困っているときに手を差し伸べない、周りで悩んでいる人の話を聞いてあげないといった人間関係の希薄さが、さらに進んでいる。
マザーのような神のような存在は望むべくもないが、せめて普通の思いやりのある社会でありたい。
目次
01. 土光敏夫 無私の心
02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力
03. 上杉鷹山 背面の恐怖
04. 西郷 隆盛 敬天愛人
05. 広田弘毅 自ら計らぬ人
06. チャーチル 英雄を支えた内助の功
07. 毛利元就 戦略とは「戦いを略す」こと
08. マザー・テレサ 最も神の近くにいる人
09. ハロルド・ジェニーン プロフェッショナルマネージャー
10. 孔子 70にして矩をこえず
11. 栗林忠道 散るぞ悲しき
12. 小倉昌男 当たり前を疑え
13. スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣
14. 吉田松陰 現実を掴め
15. キングスレイ・ウォード 人生に真摯たれ
16. 本田宗一郎 押し寄せる感情と人間尊重
17. 徳川家康 常識人 律義者 忍耐力
18. ヴィクトール・E・フランクル 生き抜こうという勇気
19. 坂本龍馬 謙虚さゆえの自己変革
20. 浜口雄幸 男子の本懐
21. 天璋院篤姫 あなどるべからざる女性
22. 新渡戸稲造 正しいことをする人 23. セーラ・マリ・カミング 交渉力とは粘り強さ 24. エイブラハム・リンカーン 自分以外に誰もいない 佐々木のリーダー論
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