サー・ウィンストン・チャーチルは1940年から45年にかけてイギリス戦時内閣の首相としてイギリス国民を指導し第二次世界大戦を勝利に導いた言わずと知れたイギリスきっての英雄的リーダーである。90歳で亡くなったとき平民でありながら国葬となりウェストミンスターホールは3日間弔問のため30万人が訪れたという。
チャーチルは1895年にサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業し騎兵隊少尉に任官、キューバやインドに赴き軍人の仕事と従軍記者の仕事をする。1899年、ボーア戦争のとき捕虜となるも脱走し11日間かけて味方のいる地に辿り着いた英雄的行動が彼の知名度を飛躍的に高め政治家として成功する礎を築いた。
そもそも彼は政治家として名を残すことが最終目的でありそのためには軍人になって功を立てるのが近道という動機から軍隊を選んだのだ。
母への手紙で「青年期に英国の部隊とともに戦闘に参加することは政治家としての重みを与える。私はこの世で何らかのことを成し遂げるという運命を信じている」と書いているが彼には幼少の時から父の跡を継いで国政の場に出たいという強く熱い思いがあった。
そのような動機であったからともかく結果の出るチャンスを掴もうとあらゆるコネを使って配属地などの希望を通してきた。
先週、広田弘毅は「自ら図らぬ人」吉田茂は「自ら図る人」と書いたがチャーチルの自ら図るやり方は吉田茂の比ではなく、厚顔無恥とも喜劇的ともいえるほど露骨なものであった。
このことはチャーチルが過剰なまでに己の能力に自信を持ち、その能力をこの世で実現することが自分のミッションだと強く信じていたからでそういう意味では並外れた資質をもっていたともいえよう。
栄達のためには手段を選ばぬ野心家でありながら、彼が偉大な政治家であった資質を挙げるとまず第一は尋常でないほど危険に怯まぬ勇気があること、二つ目が政治課題に関しては鋭敏な嗅覚があること、そして最後の三つ目が目標に向かって進むエネルギーの激しさである。
この3つの特徴はまさに持って生まれた資質といってよく、本人の努力も加わり彼をして類まれなきリーダーに仕立て上げた。
彼にはどうしても政治家になるという強烈なパッションがあったため軍人時代には自己教育のため膨大な読書をする一方、演説技術の向上のためにも努力と工夫を重ねた。
そういうこともあって、後年「第二次世界大戦回顧録」でノーベル文学賞を受けることになる。
また、その努力と工夫の積み重ねはユーモアとウィットに富んだ数々の名言を多く残すことになる。
特に「悲観主義者はいかなる機会にも困難を見出し、楽観主義者はいかなる困難の中にも機会を見出す」という言葉は私が家族の問題を抱えながら仕事にも傾注していたとき私の大きな勇気を与えてくれた座右の銘である。
他にも「成功とは意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すことである」「絶対に屈服してはならない、絶対に、絶対に、絶対に」「実際、民主制は最悪の政治形態だ。これまでに試みられたあらゆる政治形態を除けば」など含蓄のある名言だ。
チャーチルは危機の時代の優れた指導者とも言われているがその偉大さは二つある。
一つは優れて歴史観のある指導者であること、そしてもう一つは問題解決能力に優れておりあらゆる問題を解決しないと気が済まないことでこのような性格は戦争など非常時のリーダーに欠かせない資質といえる。
一般的にリーダーは人間力が大事だといわれることがあるがそれはある意味、平時のリーダーに求められる資質かもしれない。
チャーチルは危機の時代の政治家として出色であったが彼を支え彼がその能力を十二分に発揮できた大きな要因の一つに伴侶・クレメンティーンの存在があった。
二人は57年間の結婚生活を通じ、愛情あふれる手紙を数多く交わしている。ケンブリッジ大学にあるチャーチル文書館には二人が交わした書簡1700通余りが保管されている。
お互いの献身は生涯揺らぐことはなく二人の絆は例のないほど強いものだった。クレメンティーンは人生のすべてを夫のためにささげた。内気で人見知りする性格ではあったが夫を守るためなら相手が誰であろうとも戦うことを躊躇しなかった。
直観的で即断即決型の夫とは対照的に慎重で客観的に物事を見ることができるクレメンティーンの存在は彼の政治家としての成功に大きく貢献したといってよい。
二人が初めて会ったのは1904年、29歳と19歳であった。その後再会までに4年。全くの偶然で食事の席が隣同士になる。いかつい容貌と自己中心的、そして女性と会っても自分のことか政治のことしか話さないおよそ女性に持てないチャーチルだったが二人は意気投合した。
クレメンティーンは当時評判の美人であったが、父母の不幸な結婚・離婚などを見て男性については保守的で慎重な性格であった。しかし向上心が強く政治にも関心があったため普通の女性なら退屈であろう彼の政治の話は進歩的社会意識を持つ彼女の心の琴線に触れた。
政治が人生のすべてであるチャーチルにとって自分の世界に関心を持ち適切なアドバイスを与えてくれる伴侶を見つけた僥倖を神に感謝しなくてはならない。
娘のメアリーは「母が父と議論を戦わせる意思と勇気と能力を備えていたことが二人の人生にとって計り知れないプラスとなった」と書いている。
最近の日本の政治家にもさまざまな伴侶の例を見るがクレメンティーのような伴侶だったらとつい考えてしまうことがある。リーダーが実力を発揮できるかどうか、あるいは自分の言動を振り返れるかどうかは伴侶の器も大きく影響するのではないか。
第二次世界大戦時、国のリーダーの地位にいたときでも国家の最高指導者となった夫の立ち振る舞いについてきめ細かく目を配り、時として苦言を呈することをはばからなかった。
1940年にチャーチルが首相就任後間もないときに夫にあてた手紙はその一例で、縷々述べた後に「私としては国家とあなたに仕える人たちが貴方を称賛し尊敬するだけではなく貴方を愛さなければ耐え難いのです」としている。
彼女の指摘の内容もさることながらそれを手紙で相手に伝えているところに彼女の聡明さを感じる。
チャーチルに苦言できたのは彼女以外には労働党首として挙国一致内閣に参加したクレメント・アンリーと参謀総長のアラン・ブルック陸軍大将だけということからみても彼女の役割の大きさがわかる。
メアリーによるとチャーチルのエゴは相当なものであったようでクレメンティーンはそのわがままに付き合いきれず時々一人長旅に出たようだし派手な夫婦げんかも珍しくなかったようだ。
クレメンティーンが92歳で亡くなったとき、5人の子供のうち3人は先立たれ、残る2人のうち人並みの幸せを味わっているのはメアリー一人だけという必ずしも子育てに成功したとは言えなかった。おそらく彼女の人生のすべてはチャーチルのためにあったのだろう。
一人の英雄は一人だけで英雄になれるわけではない。特に内助の功は一般の人が考えるより大きなことではないかと感じる。
目次
01. 土光敏夫 無私の心
02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力
03. 上杉鷹山 背面の恐怖
04. 西郷 隆盛 敬天愛人
05. 広田弘毅 自ら計らぬ人
06. チャーチル 英雄を支えた内助の功
07. 毛利元就 戦略とは「戦いを略す」こと
08. マザー・テレサ 最も神の近くにいる人
09. ハロルド・ジェニーン プロフェッショナルマネージャー
10. 孔子 70にして矩をこえず
11. 栗林忠道 散るぞ悲しき
12. 小倉昌男 当たり前を疑え
13. スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣
14. 吉田松陰 現実を掴め
15. キングスレイ・ウォード 人生に真摯たれ
16. 本田宗一郎 押し寄せる感情と人間尊重
17. 徳川家康 常識人 律義者 忍耐力
18. ヴィクトール・E・フランクル 生き抜こうという勇気
19. 坂本龍馬 謙虚さゆえの自己変革
20. 浜口雄幸 男子の本懐
21. 天璋院篤姫 あなどるべからざる女性
22. 新渡戸稲造 正しいことをする人 23. セーラ・マリ・カミング 交渉力とは粘り強さ 24. エイブラハム・リンカーン 自分以外に誰もいない 佐々木のリーダー論
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