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こんなリーダーになりたい

04. 西郷 隆盛 敬天愛人


最近の日本の政界や経済界を見ていると真のリーダーといえる人が極端に少ない。例えば政治では人をひきつけるようなこれはという首相はほとんど登場しない。
毎年のように人が変わり、期待しては裏切られることの繰り返しだ。
それは彼らに世のため人のために無私となって政治をしようという志が希薄だからではないか。
どうして現代はそういう人がいないのか?志を持つことがそんなに難しいことなのか?明治維新のころには尊敬できるリーダーが多く存在したのに、今はいないのはどうしてか?
日本の近代史上、圧倒的な存在感を持つ大丈夫、英雄といえば西郷隆盛であろう。
薩摩藩の下級武士の家に生まれた西郷は名君 島津斉彬に見出され藩の改革などを指揮しその実力を発揮するも、斉彬亡き後の久光に疎んぜられ32歳から37歳まで奄美大島、沖永良部島に流刑となる。しかし薩摩藩家中での西郷の人望は厚く、呼び戻され、薩長連合軍を率いて明治維新において大いなる貢献をし、木戸、大久保と共に維新の三傑といわれている。
明治政府設立後は政府内には留まらず、さっさと郷里の鹿児島に帰るが、維新の総仕上げである廃藩置県を実行するに当たり政府内にはそれができる人材が見当たらず、三条実美らは再び西郷を呼び寄せ、西郷はわずか4ヶ月でこれを断行した。
坂本竜馬は西郷を「大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く」と表現したが江戸城無血開城に貢献した勝海舟によれば、坂本竜馬が西郷に及ぶことができないのは「その大胆識と大誠意」であるとした。
戊辰戦争での敗軍の将である庄内藩・酒井忠篤への西郷の丁重な接し方に感動した庄内藩士10数名が鹿児島を訪れ、西郷の考え方を学び「南洲翁遺訓」を著わしたが、その中に西郷をあらわすのにふさわしい一節がある。
「命もいらず名もいらず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業はなし得られぬなり」
どうして木戸も大久保も岩倉、伊藤も誰もがなれないほどの大きな器のリーダーに西郷がなりえたのか。
人間はみな欲を持って行動する。例えば薩長藩のトップたちは幕府を武力で壊滅させたほうが好都合と考えていたに決まっている。そして新政府ができれば、できるだけ自分がその中で権力を握りたいと考えてしまうものだ。
しかし西郷は勝の訴えを聞いて、江戸城攻撃を自分の一存で中止し無血開城をしてしまう。
さらに新政府ができたら、その中枢のど真ん中の地位に座れるのに、それを捨ててさっさと郷里へ帰ってしまう。度胸の良さ、大きな包容力に加えその欲の無さは類を見ない。
西郷は人間は訓練で己を高めようと思えば、どこまでも大きく高くなれ、小さくなればどこまでも小さくなれると考えていた。
人の生きる目的は「道を行うこと」「人はみな聖賢を目指して高めるべき」と考えていた。
なぜ西郷がこのような考え方を身に付けたのか。もちろんもともと西郷が持っている資質でもあろうがそれを決定付けたのが32歳からの遠島に流された逆境の5年間ではないかと思う。
島流しのとき彼は佐藤一斎の「言志四録」を持っていった。この書物は佐藤一斎の哲学、思想、人生観を朱子学に基づき著わした1133条からなる42歳から80歳までの言行録だが、西郷はそのうち101条を選び出し携帯できるようにして自らの考え方や行動の指針とした。
西郷が選んだ101条は「道を行い聖賢たらんとする」彼の脈々たる闘志があふれ出ている。これが「南洲手抄言志録」であるが、島流しの5年間、西郷は繰り返し繰り返し何百回も読みかつ考えそれを自らの体の中に叩き込んだのである。
西郷は人の生きる意味は「道を行うこと、聖賢を目指すこと」と考え、それを訓練によって実践し、明治維新の抜きんでたリーダーになった。
それではどうしたらそのような「聖賢」になれるのか。西郷が言うには心を無にして先入観を捨て誠意を持って聖賢の書をーー例えば論語や孟子を読み彼ら聖賢の考え方や行動ができるように何度も試みるのだという。
人間は訓練によってそれができることを西郷は自らで証明したわけだ。
西郷が生涯に読んだ本の数は、おそらく例えば私が読んだ数の100分の一にも満たないだろう。
それなのにあれほど優れた人間力、リーダーシップを身に付けたのだ。
私はある新聞のコラムに「多読家に仕事のできる人は少ない」と書いたことがあるがやたらに知識を積み重ねるよりも数少ない本でも、覚悟を持って自分の生き方、考え方の座標軸を作れる人のほうがよほど人間ができていくというものだ。
私は何度西郷の本を読んでももう一つよくわからないことがあって、それは西郷の思想の根っこにあった「敬天愛人」の考えにどうして彼が至ったかということだ。
西郷は「南洲翁遺訓」の中で「天地自然」という言葉を何度も使っている。
人の道を行うことは天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要であるというのだ。
人間は天地自然、大宇宙の一部として存在しているのであってそこから離れて独立していない。自分の身体は天の命を受けてこの世に生まれたもので死生の権利は天にある。素直に天の命を受けるべきだという。
西郷がこのような考えに至ったには背景があるようだ。
薩摩藩の朝廷工作に関わっていた京都清水寺の住職・月照は井伊大老の安政の大獄により身の危険が迫った。薩摩藩は幕府を恐れ月照を見放そうとしたが西郷はそれまでの月照の働きに対してあまりにひどい仕打ちと憤り、月照と共に投身自殺を図る。月照は死ぬが西郷はかろうじて助かる。自分ひとりが生き残ったことで西郷は気も狂わんばかりに悩みぬいた末「こうして自分ひとりが生き残ったのは、まだ自分にはやり残した使命があるからだ。だからこうして天によって命を助けられたのだ」ということに思い至る。西郷は自分が天によって生かされているという、天命への信仰に目覚めたのだ。
西郷が明治維新の他の指導者とはっきり違うところは「生きる目的は道を行うこと」と考えたことで人間が物欲をコントロールして人の道を行うことは天地自然の道と一体となることに思い至ったことである。
天は人も我も同一に愛したもう故我を愛する心を持って人を愛する。「敬天愛人」の哲学は釈迦、キリスト、孔子が到達した境地であるが天地自然・大宇宙の法則の中に人間のあるべき生き方を見出している。人を相手にせず天を相手にせよといっている。
なぜ現代は優れたリーダーがいないのか?
いくつかあるかもしれないが、ひとつの理由はリーダーになるべき立場の人に真のリーダーの要件が欠落しているからではないか、つまり人の上に立つ人の合格基準に知識やスキルの方が重要視されていて人間としての気高さや美しさが入っていないからではないか。
またあまりに情報過多で落ち着いて本を読まない、落ち着いて自分の人生を洞察しない、忙しすぎてじっくり自分や社会を見直す時間が無いということも大きい。
現代は混迷を深めみな閉塞感に陥っている。このようなときこそ西郷が求められているのに。


目次
01. 土光敏夫 無私の心
02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力
03. 上杉鷹山 背面の恐怖
04. 西郷 隆盛 敬天愛人
05. 広田弘毅 自ら計らぬ人
06. チャーチル 英雄を支えた内助の功
07. 毛利元就 戦略とは「戦いを略す」こと
08. マザー・テレサ 最も神の近くにいる人
09. ハロルド・ジェニーン プロフェッショナルマネージャー
10. 孔子 70にして矩をこえず
11. 栗林忠道 散るぞ悲しき
12. 小倉昌男 当たり前を疑え
13. スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣
14. 吉田松陰 現実を掴め
15. キングスレイ・ウォード 人生に真摯たれ
16. 本田宗一郎 押し寄せる感情と人間尊重
17. 徳川家康 常識人 律義者 忍耐力
18. ヴィクトール・E・フランクル 生き抜こうという勇気
19. 坂本龍馬 謙虚さゆえの自己変革
20. 浜口雄幸 男子の本懐
21. 天璋院篤姫 あなどるべからざる女性
22. 新渡戸稲造 正しいことをする人
23. セーラ・マリ・カミング 交渉力とは粘り強さ
24. エイブラハム・リンカーン 自分以外に誰もいない
佐々木のリーダー論

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