私は「こんなリーダーになりたい」と言うテーマで、最初に取り上げたいと思った企業経営者は、松下幸之助と本田宗一郎だった。
しかし、本田宗一郎のことを知れば知るほど取り上げることを躊躇してしまう。
それは普通リーダーとなる人のタイプは、沈着冷静だったり、自制心が強かったりといった特長があるのに、宗一郎の場合は子どものようなところがあり、まるで悪ガキがそのまま大人になったような面があるからだ。
押し寄せる感情の量が人より多く、それを抑えようとはせずいつも感情がほとばしり出てくる。
仕事をしていても理屈に合わないことが起こったり、手を抜いたりすると本気で怒る。
その激しさは、時に部下を殴ってしまうこともあったという。
そういう人であっても、16歳で丁稚奉公となり、22歳で創業し、42歳でホンダを興し、在任中はもちろん退任後も急速な成長を実現するとともに、社員全員に強烈な「ホンダフィロソフィー」を植え付け、人材と組織の基盤を築き上げたこの宗一郎のリーダーシップには、やはり触れておかなければならない。
宗一郎のリーダーシップには2面性がある。
その一つはなんといっても前を向いて個性をむき出しにし、あくなき追求をし周囲を巻き込んで結果に結びつけるリーダーシップである。
もう一つの面は、そうであるのに人への目配り、気配り、思いやりが尋常でないことである。
さて、まず最初の激しい感情のことに触れたい
1952年、事業拡大のため、無謀にも資本金の30倍の4億5千万円の工作機械を購入したことがあり、その結果、経営は苦境に陥るものの持ち前のチャレンジ精神で、何とか乗り切った。
また1954年、世界最高のオートバイレースのマン島TTレースを見て、その水準の高さに驚きながら、1959年から参戦し、61年には125CC、250CCとも1位〜5位をホンダが独占優勝するなど、常に不可能とも思えることに挑戦してきた。
また宗一郎は約束を守ることに厳しかったが、その約束事の中で、最も大事にしたものは時間であった。
なぜ時間に拘ったかといえば、人生に残された時間の短さに比べ、その間に自分が成し遂げたいことがあまりにも多かったからだ。
頭の回転が速く、次から次へと試したいアイディアが出てくる。
「能率とはプライベートの生活をエンジョイするために時間を酷使すること」と言っていた。彼の遊び方が、けた外れだったのも、狂気の淵に近づくばかりの仕事人間だったから、精神のバランスをとるためにも、遊びにのめりこんだと思われる。
感情丸出しで、鬼気迫る激しさで仕事に集中していくが、彼の場合、存在そのものがメッセージと言ってよい。
女性問題においても、何度か妻さちに隠れて愛人を作ったようだが、それもまた強烈な仕事ぶりとのバランスをとるための解放の場が必要だったのかもしれない。
人は成長し大人になるにつれて、丸くなり割り切ったりあきらめたりするようになるものだが、彼にはそれができない。
分別臭くなるヒマもない高い志であったとも思われる。
生前に自分の戒名を「純情院無軌道居士」と付けたというが、自分でも抑えきれない感情が湧きあがってくるようだ。
それでも周囲の人が彼についてくるのは、なんとしてでも成功させようという志の高さと、実行する道筋の論理性と納得性であった。
宗一郎がこのようなことができたのは、もちろん持って生まれた気質が第一ではあるが、会社では副社長の藤沢武夫、家庭では妻さちという強力なサポーターがいたことも大きい。
「本田さんは常に未来を語る人、藤沢さんは過去にすべての鍵があると考える人」と周囲の身近な人は言っていたという。
次に、彼のリーダーシップのもう一つの面、後ろから付いてくる人たちに対する目配り、気配り、思いやりについて触れたい。
宗一郎は、社長を退任したあと、自分を支えてくれた国内の700ヵ所の営業所・サービス工場に、ありがとうのお礼と握手の旅に出た。
退任後、全社員にお礼を言うために出かけたトップの話は聞いたことが無い。
67歳というのに、日によっては一日400キロ、1年半かけての車の旅だった。
「ホンダフィロソフィー」の1丁目1番が「人間尊重」で差別が諸悪の根源と、彼は考え社員一人一人を大事にしてきた。
一方、人間は所詮、私利私欲もあり、好き嫌いもある弱い存在とも考えていたし、「自分だって儲けたい、幸せになりたい、女房に隠れて遊びたいという普通の男だ」と平気で言っていた。
もし、企業家として他人と違っているとしたら、「人に好かれたいという感情が人一倍強いこと」とも言っている。
彼は相手の立場に立ったり、そのとき何を伝えるべきか、何を感じるかということについては、ある意味人間の達人と言っていいほどの感受性を持っていた。
人間というものの観察と理解において極め付きのリアリストであった。
また、考えることは人間の権利であるだけではなく人間の楽しみでもあるが、社員の「考える権利」「考える楽しみ」を与えるのが、経営者の責任であり、そのことが人間尊厳の原点であると考えてきた。
彼は自分がそうであったから、他人にもそうありたいと強く望んだ。
そうすることで社員一人ひとりが、モチベーションを上げ、自己実現を達成することになり、その結果、会社が伸びていくことに繋がる。
人間の弱さ、強さを人一倍理解できた宗一郎だったからこそ、人間を活かす哲学を持ち、経営の現場に取り入れていった。
考える楽しみを持てば、理想や目標を持つようになり、そうなれば弱い人間も勇気を持て強くなれる。
そして強い精神は容易なことを嫌い、今度は自分で困難を発明していく。
また彼は人を喜ばせたいと考え、1951年創業当時「造って、売って、買って」という三つの喜びを挙げ、これをホンダのモットーとした。
成長でも利益でも技術でもない「喜び」をキーワードにしたのだ。そして「自分は人のためには仕事をしない。自分のために仕事をする」とも言い切っている。
私は以前、ホンダで前社長の福井さんと対談したことがある。そのとき、福井さんは入社式で新入社員に話したことを聞かせてくれた。
「君たちがホンダに入ってきて、ホンダウェーを学ぶのもいいだろう。しかし、君たちはこの会社に何かを持ってきて、何かを変えていかなければ明日のホンダはない。
人は何のために働くかといえば自分のために働くのだ。それはいつの時代も、世界中どこでも当たり前のことだ」
どこの会社に「会社のためではなく自分のために働け」という社長がいるだろうか。
ホンダには宗一郎が亡くなっても、その思想、志は脈々と伝わっている。それは宗一郎の考えたこと、実行したことが本物だったからだろう。
私は埼玉県和光市にあるホンダの研究所に行ったとき、駅前で道を聞いた人がホンダの部長さんだったが、会社まで案内する道すがら「うちの福井は大した男ですよ 云々」と話し始めた。
自分の会社の社長をこのように表現する社員、宗一郎の自由闊達な思想がよく受け継がれているものと感じ、大層うらやましく思ったものだ。
目次
01. 土光敏夫 無私の心
02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力
03. 上杉鷹山 背面の恐怖
04. 西郷 隆盛 敬天愛人
05. 広田弘毅 自ら計らぬ人
06. チャーチル 英雄を支えた内助の功
07. 毛利元就 戦略とは「戦いを略す」こと
08. マザー・テレサ 最も神の近くにいる人
09. ハロルド・ジェニーン プロフェッショナルマネージャー
10. 孔子 70にして矩をこえず
11. 栗林忠道 散るぞ悲しき
12. 小倉昌男 当たり前を疑え
13. スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣
14. 吉田松陰 現実を掴め
15. キングスレイ・ウォード 人生に真摯たれ
16. 本田宗一郎 押し寄せる感情と人間尊重
17. 徳川家康 常識人 律義者 忍耐力
18. ヴィクトール・E・フランクル 生き抜こうという勇気
19. 坂本龍馬 謙虚さゆえの自己変革
20. 浜口雄幸 男子の本懐
21. 天璋院篤姫 あなどるべからざる女性
22. 新渡戸稲造 正しいことをする人 23. セーラ・マリ・カミング 交渉力とは粘り強さ 24. エイブラハム・リンカーン 自分以外に誰もいない 佐々木のリーダー論
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