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佐々木常夫流・7つの習慣
 
佐々木常夫流・7つの習慣(その9)

2015.11.3

第2の習慣:終わりを思い描くことから始める

終わりを思い描くことから始めることで到達したい目的地を定める


■葬儀のときに、親族や友人からどんな弔辞を読んでほしいか

 コヴィー氏が挙げる第2の習慣は「終わりを思い描くことから始める」である。

「終わりを思い描くことから始めるというのは、目的地をはっきりさせてから一歩を踏み出すこと」(『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』P118)
をいう。
第1の習慣で私たちは、主体的に生きることを決めた。人生はままならないことの連続であるが、うまくいかない理由を環境や人のせいにせずに、自分の人生として責任を持って引き受ける。そして自分がコントロールができる「影響の輪」の中にあることに時間とエネルギーを注ぐことによって、「影響の輪」を押し広げながら、自らの力で道を切り拓いていく。コヴィー氏が考える主体的に生きている人とは、そういうことができる人のことを言う。
 そして主体的に生きること(第1の習慣)ができるようになった次に大切になるのが、何に向かって主体性を働かせていくのか、目的を明確にすること(第2の習慣)である。
人を飛行機にたとえると、第1の習慣によって、自分の力で離陸をして大空に飛び立てる力はついた。しかし飛び立ったものの、特に行くあてがないために、ただ上空を旋回しているだけというのでは意味がない。そこで第2の習慣によって、自分はニューヨークに行きたいのか、パリに行きたいのか、それともエジプトなのか、目的地を明確に定めることが重要になる。目的地が定まってこそ、人は迷走状態に陥ることなく、効果的に主体性を発揮することができる。
 では目的地はどのように見つければいいのか。コヴィー氏は「目的地を見つけたければ、人生の終わりを思い描くことから始めなさい」と言う。これは文字通り、自分がどんなふうに人生の最後を迎えたいかを思い描くことから始めるという意味である。
 具体的には、自分が亡くなったときの葬儀の場面で、親族や友人、仕事関係の人、地域の人から弔辞をもらうときに、これらの人たちに、自分自身や自分の人生をどのように語ってほしいか、どういう貢献や功績を憶えておいてほしいか、といったことをイメージする。つまり「今はまだそこまで到達していないけれども、人生の最後を迎えるときには、こんな自分になっていたい」という自己像をイメージしてみるわけである。そしてそれを人生の目的地に定めるのだ。
 また人生の最後を思い描くことができたら、日々の生活の中でも常にそのイメージを折に触れ思い返すことが大事であるとコヴィー氏は言う。


■本当に大切なことに沿って、ブレない判断ができるようになる

 自分の葬儀のときに、家族や友人からどんな弔辞を読まれたいかだなんて、ほとんどの人は考えたことがないと思う。特に若い人はそうであろう。
 自分の人生の最後を思い描きながら生きるとはどういうことなのか、なぜそれが大切なのかについて、コヴィー氏は次のように述べている。

「(終わりを思い描くことから始めるとは)人生におけるすべての行動を測る尺度、基準として、自分の人生の最後を思い描き、それを念頭に置いて今日という一日を始めることである。そうすれば、あなたにとって本当に大切なことに沿って、今日の生き方を、来週の生き方を、来月の生き方を計画することができる。人生が終わるときをありありと思い描き、意識することによって、あなたにとってもっとも重要な基準に反しない行動をとり、あなたの人生のビジョンを有意義なかたちで実現できるようになる」(『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』P118)
人は人生のいろいろな場面で、さまざまな判断を迫られることになる。「進学するべきか、就職するべきか」、「転職をするべきか、今の会社にとどまるべきか」、「この人と結婚するべきか、違う相手を選ぶべきか」、「遠方への転勤を命じられたときに家族を一緒に連れて行くか、単身赴任をするか」などなど。
 こんなとき私たちは、長い目で物事を見ることができず、一番安易な選択肢やその時々の感情に流されて判断をしてしまいがちである。そして後になって「しまった! あのときの判断は間違っていた」と、後悔するようなことがしばしば起きる。
 けれども「自分は人生の最後にどんなふうになっていたいか」を思い描けていれば、そこから逆算して適切な判断を下すことができようになる。たとえばABCの三つの選択項目があったときに、「どの項目を選ぶことが、自分が到達したい目的地に一番近づくか、つながるか」という観点で選択することができるようになる。選択にブレや迷いがなくなるし、また長期的な視点で判断を下せるようになったわけである。

■人生を「虚しい勝利」で終わらせてはいけない

 コヴィー氏は「人は虚しい勝利を手にすることがよくある」と言う。

「成功のためにと思って犠牲にしたことが、実は成功よりもはるかに大事なものだったと突然思い知らされる」(『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』P119)
と。
 たとえば仕事で成功を収めるために、家族や友人を犠牲にしてきた人がいたとする。そして努力の結果、高い地位と収入を得ることができた。彼は社会的には勝利者であるといえるだろう。しかし成功を手に入れた途端、彼は愕然とする。自分の成功を一緒に喜んでくれる人が、周りに誰もいないことに気がついたからである。これがコヴィー氏が言う「虚しい勝利」だ。
 なぜ彼がこうなってしまったのかというと、人生のスタート地点で目的地の設定を間違ってしまったからである。間違った目的地を設定すると、当然その結果も間違ったものになる。だからこそ「自分が人生を終えるときにどうなっていたいか」を思い描くことで、自分が本当に到達したいと望んでいる正しい目的地を見つけることが大切になるのだ。

「自分にとって本当に大切なものを知り、それを頭の中に植えつけ、そのイメージどおりになるように日々生活していれば、私たちの人生はまるで違ったものになるはずだ。梯子を掛け違えていたら、一段登るごとに間違った場所に早く近づいていくだけである。(『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』P119)

 この本の読者の方の中には、すでに自分なりの人生の目的地を定めて生きておられる方もいるだろう。けれどもその目的地が本当に正しいものなのか、虚しい勝利をつかむ結果にならないか、コヴィー氏が勧めるように「終わりから思い描いてみる」ことによって、一度検証してみた方がいいかもしれない。場合によっては、修正を図る必要も出てくるだろう。
 またこれまで人生の目的地なんて考えてみたこともなく、何となく教師や親から言われるままに大学に進学し、働き始めてからも、会社や上司から言われるままに仕事をするというふうに、会社に入社するから就職しというふうに、ただ流れに従って生きてきただけという人も多いと思う。こういう人こそ、最終的に自分はどんな人間になりたいのか目的地をしっかりと考えてみる必要がある。
 そうでないと、先ほどの飛行機の例でいえば、どこにもたどり着けずにただ上空を旋回しているだけの人生になってしまう。自分の人生の脚本は自分で書かなくては、満足のいく充実した人生にはならない。


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