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管理職の心構え
 
(その1)渋沢栄一の歩んだ道

2021.11.8

渋沢栄一は新一万円札の顔として、そしてまた2021年NHK大河ドラマの主人公として、にわかに注目を浴びつつある明治の実業家で「日本資本主義の父」とも称せられるが維新後の日本経済を成長に導いた最大の功労者です。
 
 渋沢は明治維新後、大蔵省に出仕して税制をはじめとする様々な制度改革の実務にあたり、近代日本の土台作りを進めた。大蔵省を辞した後は、日本で初めて銀行を設立し、さまざまな株式会社を興して500以上もの企業の創立と経営に携わりました。
また、「士魂商才」すなわち「武士道の精神と商才の才覚を併せ持つ」という考えでそれまでは賤しいとされてきた商人の地位を向上させ日本の商工業を飛躍的に発展させ、明治の日本経済を見事に軌道に乗せたのです。 
渋沢のユニークさは「道徳的であることが最も経済的である」として経済の世界に『論語』の思想を持ち込んだことです。
しかし、渋沢の人生は決して順風ではなくむしろ多くの挫折と紆余曲折に満ちていました。

それではまず渋沢の半生を駆け足で紹介してみましょう。
1841年、渋沢は埼玉県深谷市にある血洗島の農家に生まれました。生家は農作のほか養蚕や藍染も手がける豪農で、渋沢は商売を手伝う傍ら、教育熱心な父親の勧めで読み書きを習い、向学心旺盛な青年に成長します。
しかし、渋沢は農家の後を継ぐ道を捨て、自ら尊皇攘夷の志士を目指し始めるのです。
そして1863年、武器と仲間を集め、高崎城を乗っ取り横浜の外国人居留地を焼き払うという大胆な計画を企てるが、時の情勢を知る従兄に止められて決行を断念。
しかし深谷にいて嫌疑をかけられてはまずいと考え、故郷を後にして京都へ逃亡します。
翌年、京都にたどり着いた渋沢は、かねてより交流のあった一橋家の重臣・平岡円四郎という人物(NHKの大河ドラマでは堤真一が好演している)の紹介で、御三家の一つである一橋家の当主・慶喜に仕えることになります。
そこで渋沢は領地の殖産興業や財政改革の提案をするなど、その才気を遺憾なく発揮し始めるが、慶喜が将軍職に就いたことをきっかけにやむなく幕臣の身分を捨てようと考えます。

ところが、ここで渋沢に降って湧いた幸運が訪れました。1867年(慶応3年)、慶喜の弟である昭武の随員として、フランスへの渡航を命じられたのです。
渡仏をきっかけに渋沢はヨーロッパの国々をめぐり、造幣所や銀行、瓦斯、下水道、病院、新聞社など様々なものを視察し、株式や公債など金融に関する知識を次々に仕入れます。西洋には官尊民卑も商人への蔑視もなく政治と経済が対等であるということに感銘を受け「是非これを日本に持ち帰りたい」と考えるが、翌年急遽帰国命令が下ります。
大政奉還によって、幕府がなくなってしまったのです。
失意の中で帰国した渋沢だが1869年(明治2年)、パリでの熱心な勉強ぶりのうわさを聞いた新政府の大隈重信の強い説得もあり新政府で働くことになります。
貨幣制度や税制、郵便制度の改革、度量衡の改正のほか、新事業立ち上げに取り組むなど、近代日本の土台作りに邁進しました。