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管理職の心構え
 
(その11)逆境は真価を試される好機と捉えよ

2023.8.30

人生には二種類の逆境がある
 渋沢は『論語と算盤』の中で、自身の境遇を振り返って次のように述べています。
自分は明治維新という最も騒々しい時代に生まれ、様々な変化に遭遇してきました。
尊皇攘夷を論じて東奔西走したかと思えば、一橋家に仕えて幕臣となり、徳川昭武に随行してフランスに渡航したものの、帰ってみれば幕府はすでになく王政の世の中に変わっていた。この間、自分は精一杯にやってきた。でも、どうすることもできず逆境の人となってしまったと。
このように、人生には好むと好まざるとにかかわらず、波瀾の渦中に投じられて逆境に立たされることがある。これはいわば「人にはどうしようもない運命」である。そのような逆境に立たされた場合は、目の前の出来事を「自分に与えられた本分(役割)」だと覚悟を決めることだ。そして天命に身を委ね、次の機会を待ちながら、コツコツとくじけず生きるのがよい。
あれこれ悩んだところで、天命に逆らうことはできないと割り切れれば、心は落ち着きを保てるはずだ、と渋沢は言うのです。
私たちは大きなトラブルに見舞われると、「何でこんなことになるんだ」「一体どうすればいいんだ」とただ頭を抱えてしまいがちです。誰かのせいにしたり言い訳したり右往左往してしまいます。
そのときその原因究明はするにしても、それが致し方ないことだとわかったなら、無駄に騒ぐのはやめその役割(運命)の中で最大限の努力をするべきだというわけです。
特にその逆境が自分のせいだったら反省し悪い点を改めるしかないでしょう。

渋沢流・うまい逆境の乗り越え方
 「どうしようもない逆境に直面したら、あれこれ悩まずやれることをやれ」と渋沢は言うわけですが、彼の逆境の乗り越え方を見ていると、目の前の物事に対する考え方が大変前向きで柔軟であると感じます。
自分の期待に添わない出来事が起きても、「なるほど、それもアリだな」としなやかに受け入れ、頑なにならず投げやりにならず、その場の状況に自分自身をうまく合わせていくのです。
例えば、渋沢にとって一橋家の家来になるのは本来なら不本意です。「幕府とつながりのある人になんか仕えるものか」となるか、「食っていくために、誇りを捨てて仕方なく仕官するか」となるかの、ネガティブな二択になるかに思われます。
ところが渋沢はどちらの選択肢もとりませんでした。「家来にして下さるというご好意はありがたいが、食っていくために志を翻すのは好まない。しかし、一橋公が世のため人のために志ある者を召し抱えたいというなら是非役に立ちたい」と第三の選択肢を申し出て仕官しその後の努力で成果を上げていきます。
渋沢は、目をかけてくれた平岡兵四郎の人柄と、彼が志ある人材を欲していることを勘定に入れた上で、相手に役に立ち、自分も困らない道を切り開いたわけです。
大隈重信からの依頼で大蔵省の役人になる時も、渋沢は似たような対応を取ります。
大政奉還後、渋沢はもうお役所勤めはやめて、パリで学んだ株式会社の知識をもとに、慶喜がいる静岡で「商法会所」という会社づくりをしようとしていました。
だから最初に大蔵省に勤めるよう言われた時、渋沢は「全く経験のない職務なので御免被る」と一度は辞退しますが、大隈重信に「何をすればいいのかわからないのは君だけじゃない。新政府を支える八百万の神の一員となって、日本のために尽くしてもらいたい」と熱く説得され、決意を翻して任務を引き受けます。そして「自分にも考えがある。それを是非採用してもらいたい」と一言提案を申し添えるという「建白魔」面目躍如の行動を見せました。
「そんなに言うならやってやる」という受け身ではなく、「自分にもやってみたいことがある」という主体性を持って任務を引き受けたわけです。
 逆境を乗り越えるためには、渋沢のように何事も主体的に、物事を前向きに受け入れていく柔軟性が必要なのかもしれません。
期せずして降りかかった災難をいかにして切り抜けるかによってその人の価値が決まると言っていいでしょう。




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