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管理職の心構え
 
(その12)実業も「仁(思いやり)」を根本とせよ

2023.11.26

「思いやりの道」はわざわいを最小に防ぐ
渋沢は孔子にならい実業界でも「仁」を根本とすべきだと述べています。
仁とは他人を思いやる気持ちのことです。
真心で人に接する、人を欺かない、私利私欲に走らないなどの行為もこの仁に含まれます。
商売人がみな仁を根本とすれば、粗悪なものを作って売りつけたり、人を騙して大金をせしめるという悪事は起こらない。人々は安心して売り買いができる。
だから事業を成功に導くには仁=思いやりが何より大事だというわけです。
また渋沢は、資本家と労働者の間においても仁を大切にすべきだと考えます。
資本家も労働者も「思いやりの道」によって向き合ってほしい。そもそも両者の損得は共通の前提に立っている。互いの調和があってこそ、大きな利益も見込める。権利だの義務だのをやたらと言い立てるのは、両者のミゾを作るだけで何の効果もない、と言うのです。
かつて資本家と労働者の間には家族的な情愛があった。だが、最近は法律を制定して両者を取り締まろうとしている。それも必要なことかもしれないが、法を設けて権利や義務を明らかにすれば、両者の間に自然と隙間が生まれることになる。それよりも、人々が「思いやりの道」を選び、思いやりを物差しとして生きる社会の方が、百の法律に支配される社会よりよほど優れているのではないか。
社会問題や労働問題を解決するには、労使間に壁を作りかねない法の裁きより、仁の徹底を優先すべきだと渋沢は考えたのです。
渋沢は貧富の差や格差について、「人間社会の逃れられない宿命」としていますが、「これを宿命として放置すれば、調和が崩れ取り返しのつかない事態が起きる」と危惧しています。

調整役に必要なのは器用さよりも思いやり
離れて暮らす妻へ度々手紙を書く。世話になった親族の面倒を一生みる。貧しい庶民の暮らしが少しでも良くなる事業をお上に提案するなど、渋沢の人生は思いやりに溢れています。
自分のことは後回しにして、常に相手の立場を考えて行動する。こう書くと、「なんだ、単なるいい人か」で終わってしまいそうですが、渋沢の場合、ただのいい人では終わりません。彼は自らの仁を強みとすることでチャンスをつかみ、仁を貫くことで実業界の成功者になったからです。
例えば、最も象徴的なのは慶喜の弟・昭武のフランス行きのお供に選ばれたことです。
なぜ大勢の家来の中から渋沢が選ばれたのか。その理由は、渋沢が同行メンバーの調整役として適任だったから。誰に対しても分け隔てなく接し、人の立場を慮って行動できる渋沢が、調整役としてうってつけだと判断されたのです。
何しろフランス行きの中心メンバーは、頭の固い、バリバリの攘夷論者である水戸藩の面々。同行する幕臣といつ衝突するとも分かりません。この水と油のような両者をまとめられるのは渋沢がふさわしいと慶喜は考えたのです。
人の調整役、すなわち揉め事や諍いを治めるには、器用さが求められるように思えます。
しかし、調整役に一番に求められるのは、実は人柄です。相手の立場を思いやり、相手が困らないよう誠意を尽くす。そういった「仁」の心が不可欠なのです。
渋沢が実業界で成功したのも、仁を武器にできたことが大きな理由です。
渋沢は大蔵省を辞めた後、三井・小野の両豪商とともに第一国立銀行を創立しますが、一年あまりで小野が破産し、立ち上げた銀行は破綻の危機に遭います。
小野を見殺しにするのは忍びない、さりとて小野のせいで三井を困らせるわけにもいかない。渋沢は両者の間でかなり苦しい立場に立たされますが、持ち前の調整力をフルに生かし、小野・三井の両者と何度も交渉を重ねた末に、なんとかこの難局を乗り切ります。
実業界で活躍したというと、私たちは経営力か、はたまた分析力や実行力に優れていたのかなどと考えてしまいがちですが、実は最も大事なことは仁です。人を思いやる仁の力が成功の鍵を握っているのです。




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