(その3)道理に外れないための軸を持て
2022.3.22
私は『論語』で一生を貫いてみせる
渋沢は、「士魂商才」を養うためのお手本として中国春秋時代の思想家・孔子が説いた『論語』を推奨し「論語で一生を貫いてみせる」と言い切りました。
『論語』は儒教の教えをまとめたものです。「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず……」「故きを温めて新しきを知る」などが有名です。
『論語』はいわば道徳の教科書。ですから、「士魂」を養うお手本にするのはうなずけますが、なんと渋沢は「商才」の方も『論語』で養えると考えます。
渋沢は「道に外れた富でなければ進んで得ても構わない。道に外れていない富なら、孔子も進んで得たということだ」と言います。
金銭を蔑み清貧をよしとする解釈を覆していきます。その結果、「『論語』は金銭を蔑んでなどいない。『論語』と算盤は一致するのだ!」との結論に至ります。
『論語』を肌で教えてくれた、勤勉実直で子煩悩な父
それにしても、なぜ『論語』だったのでしょう。
道徳の教科書として読まれていたものを、商売の手本にもできると閃いたのはなぜなのか。その答えの糸口を探るために、渋沢の生い立ちを振り返ってみたいと思います。
渋沢は埼玉県深谷市の農家に生まれます。農家と言っても名字帯刀を許された富農で、渋沢の父・市右衛門は農作以外に養蚕や藍栽培を行い、自ら販売も手掛けていました。
つまり渋沢は単なる農家ではなく、農業ビジネスを営む家の子だったわけです。
父市右衛門は物欲が薄く人情に厚い働き者で、勤勉実直を絵に描いたような人だったと言います。
その上『四書五経』を読み、漢詩や俳諧をたしなむ文化人で、子どものしつけや教育にも大変熱心でした。
幼い渋沢に学問の大切さを説き、本を読むことをすすめたのも市右衛門でしたが、父の教えを素直に実践した渋沢は、なんと七歳になる頃にはすでに『論語』を読んでいたと言います。
また、渋沢には市右衛門以外にもう一人、大きな影響を受けた人物がいます。十歳年上の従兄・尾高新五郎です。
新五郎は漢学者で、書道もやるし文学もわかる、おまけに剣術の心得もあるという文武両道に優れた秀才で、渋沢にとっては憧れの存在でした。倒幕によって世の中を変えようと志す新五郎の思想に共鳴しました。
そこで仲間を集め、着々と武器の調達を進めた二十代の渋沢は、新五郎を総大将に高崎城の乗っ取りを企てます。そして、勢いに乗じて横浜の街を焼き払い幕府を倒すという大胆な計画を目論みます。
結局、この企ては時期悪しということで儚くも潰えてしまうことになりました。
倒幕などと大それた計画を企てた息子を黙って見守るのは、父の存在があったからこそ、渋沢は『論語』の説く道徳を肌で理解することができたのかもしれません。
『論語』を肌で教えてくれた、勤勉実直で子煩悩な父
それにしても、なぜ『論語』だったのでしょう。
道徳の教科書として読まれていたものを、商売の手本にもできると閃いたのはなぜなのか。その答えの糸口を探るために、渋沢の生い立ちを振り返ってみたいと思います。
渋沢は埼玉県深谷市の農家に生まれます。農家と言っても名字帯刀を許された富農で、渋沢の父・市右衛門は農作以外に養蚕や藍栽培を行い、自ら販売も手掛けていました。
つまり渋沢は単なる農家ではなく、農業ビジネスを営む家の子だったわけです。
父市右衛門は物欲が薄く人情に厚い働き者で、勤勉実直を絵に描いたような人だったと言います。
その上『四書五経』を読み、漢詩や俳諧をたしなむ文化人で、子どものしつけや教育にも大変熱心でした。
幼い渋沢に学問の大切さを説き、本を読むことをすすめたのも市右衛門でしたが、父の教えを素直に実践した渋沢は、なんと七歳になる頃にはすでに『論語』を読んでいたと言います。
また、渋沢には市右衛門以外にもう一人、大きな影響を受けた人物がいます。十歳年上の従兄・尾高新五郎です。
新五郎は漢学者で、書道もやるし文学もわかる、おまけに剣術の心得もあるという文武両道に優れた秀才で、渋沢にとっては憧れの存在でした。倒幕によって世の中を変えようと志す新五郎の思想に共鳴しました。
そこで仲間を集め、着々と武器の調達を進めた二十代の渋沢は、新五郎を総大将に高崎城の乗っ取りを企てます。そして、勢いに乗じて横浜の街を焼き払い幕府を倒すという大胆な計画を目論みます。
結局、この企ては時期悪しということで儚くも潰えてしまうことになりました。
倒幕などと大それた計画を企てた息子を黙って見守るのは、父の存在があったからこそ、渋沢は『論語』の説く道徳を肌で理解することができたのかもしれません。
心に「働く軸」を持たなければ、人は堕落する
渋沢と『論語』の関係から、つくづく思うことがあります。
それは、心に「働く意義の軸」を持つ人は本当に強いということです。
多くの成功者や権力者は、必ずと言っていいくらい堕落していきます。どれほど有能で志が高くても、権力の座に着くとほぼ十年で身勝手な振る舞いをし始めます。よく「権腐十年」と言いますが、権力は人を腐らせるのです。
たとえば、日産の社長だったカルロス・ゴーン。彼は日本にやってきた当初は、大変優れたビジネスマンでした。日産の人材を使い、若手の課長を集めてリバイバルプランを作らせて実行し、経営不振に陥っていた日産を見事復活させました。それなのにです。
では、どうして渋沢は権腐十年に陥らなかったのか。それは『論語』があったからです。心に『論語』という人としてのあるべき軸があったから道を踏み外さずに済んだのです。
迷った時は常に『論語』に立ち返り、『論語』に則って行動する。そんな働く上での軸を持っていたことが、渋沢を類稀なるリーダーへと押し上げたのではないでしょうか。
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