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管理職の心構え
 
(その5)一人で儲けるな、他人と協働でやれ

2022.6.22

「一人の大きな力」より「たくさんの小さな力」
 渋渋沢の大きな功績のひとつに、「合本主義」があります。
合本主義とは、「公益追求のために資本と人を集め、事業を推進させるという考え方」のこと。渋沢はこの合本主義に基づいて、五百以上もの「合本組織」を次々に立ち上げますが、これらの合本組織はやがて日本を代表する企業へと成長していきます。
みずほ銀行、東京海上、王子製紙、日本郵船、東洋紡、アサヒビール、日本経済新聞社など、私たちがよく知るこれらの会社も、渋沢の尽力によって生まれました。つまり渋沢は、現代の「株式会社」を日本に初めて取り入れた人なのです。
ではなぜ渋沢は、合本組織(株式会社)を作ろうと考えたのか。
当時の日本では、商売といえば三井、三菱のような大資本家が営み、富を独占するのが当たり前でした。小さな商工業者がいくら努力しても、儲けを増やすことなどとてもできませんでした。
しかし、それではいつまでたっても多くの人々は貧しいまま。日本そのものも貧しいまま。国を豊かにするには、富が一部の金持ちに集中するのではなく、多くの人が経済活動に参加できる機会を作り、社会全体がお金を稼げる仕組みを作らなくてはいけない。
そう考えた渋沢は、パリで学んだ「共力合本法(個々人からお金を集めて事業の元手にすること)」をもとに、合本組織作りに乗り出したのです。
また渋沢は、実行力のみならず、協調性がありパートナーシップを大事にする人材を経営者に選ぶことによって、多様性のある強い組織作りを目指しました。
一人だけが儲けるより、みんなが得した方が全体が潤う。 
一人でやるより、大勢の力を生かした方が高いパフォーマンスが発揮できる。
渋沢の合本主義の功績は、これらを如実に物語っているように思えます。

「維新のカリスマ」は反面教師
 渋沢は合本組織だけでなく、東京商法会議所(のちの商工会議所)も立ち上げました。商工業が活性化するには、商工業者らが互いに知恵を出し合い、議論し合い、意見を取りまとめる場が必要だと考えたのです。
幕府には有能な人材が大勢いた。しかしそうした人材の力を生かしきれなかったせいで倒れることになった。明治政府にしてもそうだ。江藤新平や西郷隆盛らは優れた人物がいたにもかかわらず、能力を生かし切ることなく散っていった。
このように、当時は気に入らなければ争う、殺すが日常茶飯事。日本の未来を担っていくであろう貴重な才能が簡単に奪われてしまいます。実際、木戸孝允(西郷討伐の戦陣に立つことを願いながら病死)を含む西郷・大久保の「維新の三傑」は、一年以内に露と消えてしまいました。
渋沢はこの嘆かわしい事態を憂えつつも冷静に観察し、維新のカリスマらの顛末を反面教師としながら、話し合いによる平和的かつ効率的な組織運営を身につけていったというわけです。

「小さな衆議」が結果を出す
 独断専行より衆議を重んじるという渋沢の考えは、よりよい結果を出していく上で大変重要かつ必要不可欠です。
私自身、そのことを身を持って経験してきました。
東レという会社の中で難しい仕事をなんとか上手く切り抜けた手法の一つは多くの人の知恵を得ることでした。 
私の考える衆議のコツは、「少人数・短時間・こまめに会話すること」です。
何かわからないことがあったら、そのテーマに関係する人すぐに集めて意見を出し合い、十分から十五分程度で結論を出す。だらだら長い会議だとみな嫌がりますが、結論がすぐ出る素早い会議なら前向きに参加してくれます。
結果を出すための話し合いは、重厚長大な会議より小さくまとまりのある衆議を重ねるのが大事なのです。
多少なりの志があるとはいえ、一介の農民のせがれである渋沢がここまでやってこられたのは、忌憚なく意見を述べ合える仲間がいればこそ。ある意味カリスマ性とは真逆の生き方が、日本資本主義社会の盤石の礎を築いたのではないでしょうか。




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