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管理職の心構え
 
(その6)争いは「はなはだ必要」と心得よ

2022.10.3

海運王・岩崎弥太郎との真っ向対決
「物事は争いではなく話し合いで進めるべき」と確信した渋沢ですが、一方で「何がなんでも争いをなくせとは言わない。むしろ世の中を渡っていく上で争いははなはだ必要である」とも述べています。
「敵と争って勝つという気概がなければ成長も進歩もできない。競争は成長や進歩の母である」と。
温厚な性格で知られた渋沢ですが、経済活動を活性化させるには競争は避けて通れないと考えていたわけです。
実際渋沢は、三菱グループの創業者・岩崎弥太郎と、商売のあり方をめぐって激しく火花を散らします。
岩崎弥太郎は、明治維新で活躍した土佐出身の経済人です。半農半士の貧しい家に生れながら、才気を養い、幕末の動乱に揉まれながら商業の道を目指します。そして三菱商会を設立、やがて海運業で大成功を収め「東洋の海上王」の異名を取るまでになります。岩崎と渋沢は、明治の日本経済を支えた両雄と言っても過言ではありません。
ただ、商売に対する二人の価値観はまるで逆です。衆議を重んじ、合本主義を唱える渋沢に対し、岩崎は「事業は自分一人がやるに限る」「人を寄せ集めても理屈ばかりで成果は出ない」と真正面から異論を唱えます。
岩崎は、渋沢に接近して手を組もうと誘いますが、渋沢は毅然としてノーを突きつけます。商人としての手腕は認めるものの、独裁的な経営をよしとし、同業者を倒してでも海運を独占しようとする岩崎のやり方を、渋沢はどうしても受け入れることができなかったのです。
その後、両者の間で海運業をめぐって熾烈な争いが起こります。渋沢は志を同じくする仲間とともに海運会社を設立し、手段を選ばない三菱に対抗します。三菱も負けじと、料金値下げや燃費を無視した最速航行など客を奪い取るための強行手段に出ます。合本主義と専制主義、どちらに軍配が上がるかの戦いが繰り広げられたわけです。
結局、この戦いは岩崎弥太郎の病死をきっかけに終止符が打たれます。そして弥太郎の後を継いだ弟の弥之助と、渋沢らの共同海運会社の間に政府が立ち、両者合併して日本郵船株式会社が生まれます。

外商の不当な商法に結束で立ち向かう
 渋沢は、外国の商人ともひるまず戦います。開港後の横浜で、日本の重要な輸出品である生糸が、外商らによって不当に買い叩かれるという事態に直面した時のことです。
外商らは商品を受け取っておきながらすぐに代金を支払わず、預かり証も出さず、値が下がると「これは欠陥品だ」と言いがかりをつけて、安価な値段でしか買い取らないという不公平な取引を押し付けていました。
これを知った渋沢は一計を案じます。みんながバラバラにやっていても事態は改善しない。まずは結束して組織を作る。そしてこちらが検品・計量した商品を代金引換で売る。不当な取引には応じないなどのルールを作り、外商らに突きつけます。
これに対し外商側は猛烈に抗議し、あの手この手で日本側に揺さぶりをかけますが、渋沢の政府を巻き込んでの粘り強い交渉が成功し、日本側の要求をのんだ形で取引が行われるに至ります。渋沢は横暴な相手に知略で挑み、不公平極まりない貿易に見事待ったをかけたのです。
渋沢は競争というものについて、「良い競争」と「悪い競争」があると言います。
努力して勉強して、他人に打ち勝つのは良い競争。妨害によって成果を横取りするのは悪い競争。商工業者は良い競争に努め、悪い競争を避けなければならない。さもないと、「勝っても負けても損をすることになる」と言うのです。
事実、外商らは横暴な取引を強いたせいで、生糸の貿易を滞らせることになりました。商売上の信頼も損なうことになりました。
では、自ら悪い競争に手を染めないためにはどうすればいいか。
渋沢曰く、その答えは「強い意志を持って、自己開発に努めること」。
人を陥れることを考える暇があったら、勉強して自分の能力を高めることを考えなさい、ということです。




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