ビジネスマンのための論語(8回)
2015.9.24
これは孔子の弟子の司馬牛が、実の兄の不祥事で世間に顔向けできる兄弟がいないと嘆いた時に、同じく弟子の子夏が慰めた言葉である。
子夏曰く、四海の内、みな兄弟なり。君子はなんぞ兄弟なきを患えん
四海とは東海、西海、南海、北海のことで、それらに取り囲まれた人間世界の意味。家族の愛、特に父母にとって子供への愛情は無償の愛であり、自分の命に代えてでも子どもを守るという気持ちを持っている。子どもの父母を思う気持ちも同じようなものだろう。
そうした無償に近い愛情をどうして他人に与えないのだろうか。
家族以外の人にも、自分の家族に近い愛情を与える人が稀に存在する。
貧しい人たちのため全てを捧げたマザー・テレサは万民を愛した人である。
マザーは神に祈った。
「主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を、悲しみのあるところには喜びを、争いのあるところには許しを、絶望には希望を、理解されることよりも理解することを、愛されることより愛することを」
マザーはどうして多くの人に愛を注ぐことができたのだろうか。
インドでマザーの仕事のボランティアに参加していた日本人の商社員の奥さんがインタビューでこう答えていた。
「私たちは、マザーのために協力しているのではありません。ボランティアが終わった後、困っている人たちのために働くことができたという、充実感と爽快感があるからです」
この言葉には重みがある。
長いビジネスマン生活の中で私は、「人が何のために働くかというと、仕事を通じて自分が成長するため、そして誰かに貢献する喜びのためである」という信念を持ってきたが、マザーこそまさに、貢献する喜びを感じ行動していたのだ。
子曰く、徳は孤ならず。必ずとなりあり
道義を中心にした生き方をしているものは、決して孤立しない。必ず同調者が現れる。
孔子はまた、
子曰く、政を為すに徳を以ってすれば譬えば北辰のその所に居て、衆星のこれを共るが如し(政治家も道義を中心に行っていれば星が北極星を中心に廻っているように、やがては政治の中心人物になれる)
朋あり、遠方より来る。また楽しからずや(同じ志を持つ友が遠方から訪ねてきてともに語り合うことほど楽しいことはない)とも言っている。
同志とも呼べるほどの人物は、そんなに身近に得られるものではないが、同好の士
はその気になればどこでも得られる。その気になればということだが、何もしなければ何も起こらない。
私は若い時から、「友情や信頼には手入れが必要」と思ってきた。例えば出社したら、職場や周囲の人たちに明るく「おはようございます」と挨拶し、エレベータで先輩と一緒になったら「お久しぶりです。最近のゴルフの調子はいかがですか?」と聞く。そういう周りの人たちに対する発信が相手との共振に繋がっていき、親しい関係ができていく。
大学時代はワンダーフォーゲル部に入っていたが、仲間とはまるで兄弟のような付き合いをしてきた。社会人なるとすぐ関西に配属になり、大阪で十八年間過ごすことになった。その間、同窓会は一度ももたれることはなかった。
が、私が東京に転勤してきたら、「佐々木なら同窓会を開いてくれるだろう」とみなが期待していたらしい。そこで同窓会を設営した。全国から三十名近い仲間が喜び勇んで参集して、その賑やかだったこと。
その後毎年、このときと同じ日に同窓会を開くことにした。以来二十六年、この会は継続している。
どれほど仲の良い友人でも何もしなければ縁遠くなる。自ら進んで動かなければ友情や信頼は継続できない。
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