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ビジネスマンのための論語
 
ビジネスマンのための論語(3回)

2015.5.17

子曰く、君子は器ならず


スペシャリスト(器のこと)は、とかく職人気質で人に仕事を任せず、一から十まで自分でしないと気がすまない。しかし、地位が高くなるほど大所高所からものを見て、適材適所に人を配置して仕事を任せることが主要な任務となる。
ここで気を付けなくてはならないことがある。
孔子はスペシャリストであることが不要だと言っているわけではない。
専門性を身に付けて、更に上の段階に進もうとしている人に対して忠告したものであって、ジェネラリストになるためには、まずひとつの分野で優れた力を身に付けなくてはならないのは当然である。
ひとつの道を究めるということはその分野での法則なりルールなりを知ることで、それができると異なる分野の仕事にも応用が可能になる。
一般の企業では経理や営業などに配属されると、その分野のエキスパートであるが故に専門性を評価され、課長、部長と昇進していく。そしてその分野の役員になりボードメンバーとなるが、上の地位に就くと要求されるのは専門性というより、経営全般に関する識見である。
もちろん自分の専門分野で培ったスキルや考え方も大事であるが、社会で起こっていること、歴史の事実認識、哲学や常識などさまざまな観点からの知識や経験や人間性が問われてくる。トップマネジメントになればいわば全人格的なレベルの高さが求められる。
だからビジネスマンたるもの会社の仕事に通じているだけでは、高いレベルに達しない。
二十代、三十代はプロになるために、与えられた仕事に全力投球しなくてはならないが、四十代になったら「しなやかに」働くべきだ。四十代なら管理職にもなっているだろうから仕事はできるだけ部下にやらせ、自分は悠然としてなるべく定時に帰ることだ。そうしてできた時間で、本を読んだり社外の交流に努めたりして、ジェネラリストとしての素養を磨く必要がある。

子曰く、古の学ぶ者は己のためにし、今の学ぶ者は人のためにす


昔の学ぶ者は、自分の修養のためにしたものだが、最近の学ぶ者は人に宣伝したり、知識や学問を出世の道具として使っているようだ。
「人のためにす」とあるが、人のために学ぶのはいいことではないかと誤解されがちな言葉である。ここの意味は他人に誇示するために学ぶという意味である。
孔子は自分を成長させるために学ぶのであって、学んだ実績を人に示すためではないと言っている。
ここで面白いのは、二千五百年も前の孔子が、「古のものは=昔のものは」と言い、「今のものは=最近のものは」と言っていることだ。
いつの時代も「最近の若いものは」というフレーズが使われるが、こうなってくると「最近のものは」という言葉は間違ったことをしている人を指すようなものだ。
そして、「古の」というのは「本来の」という意味に解釈した方が良い。
孔子は「本来、学ぶということは己のためだ」ということを言いたかったのであろう。
さて、ビジネスマンが仕事をしていく上で大事なことは、仕事を通じて自分の力を磨いていくことであろう。
仕事の成果を上司や周囲の人に「俺はこんな難しいことができた」とか、「自分の実力はこれほどすごい」と示す態度は避けた方がよい。
いくら自分で自分を宣伝しても、実際のところ、周りの人はその人がどの程度の実力なのかを十分知っていたりするものだ。それに、自賛する行為をすること自体、その人の品格を貶めているし、他人からの評価も下がっていくというものだ。
自分のことを自慢するより、黙って自分を磨いている人こそが、人に信頼され評価される。


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