先週、テレビでマイケル・サンデル教授の「特別講演 大震災後の世界をどう生きるか」を見た。 日米中の若者を中心にそれぞれ10名ほどづつとサンデル教授が議論をしていった。 その中で「これから原子力発電とどう向き合うのか」という話になったとき「原子力とは決別すべきか」という問いに日本人は約半数賛成したのに対しアメリカの若者は全員反対、すなわち原子力は必要だと答えた。 日本人は毎日のように福島原発の悲惨な映像を見せつけられているしどうしても否定的になってしまうのだろう。 原子力を利用せざるを得ないと答えた人の中ではその理由としてかつて車も飛行機も危険であったが人間の知恵でその危険性を排除し上手く利用できるようになっていまや飛行機が不要という人はいなくなった。原子力もそのようにその危険性を克服すべきだ、と言う。 この議論にはやや飛躍はあるが、たしかに欧米日はともかく新興国を中心にエネルギー消費がますます増大していく中で石油や天然ガスだけでカバーしていくとなると莫大な資源を使うことになるしCo2の排出も大きくなろう。 事実、中国もインドもそれぞれ8基、6基の原発を増設中であり今回のフクシマがあってもストップしないだろう。 日本で原発と決別するといってもこれから増設するものはストップできてもすでに54基の設備を持ち全発電量の4分の1を占める原発とはおいそれと決別するわけにはいかない。 それと今後を考えるとエネルギー不足に国民が耐えられるのか、あるいはエネルギーのコスト高に耐えたれるのか、課題は多い。 今回の大災害の悲惨な結果は自然が私たちの暮らし方の根本に反省を迫っているし私たちの文明のあり方を問い直しているともいえる。 ある意味自然は私たちに何かを語りかけている。何かとはもっとエネルギーをという飽くなき欲望への警告でもあろう。
東日本大震災による日本経済への影響をさまざまな調査機関が予測している。 主要民間調査機関が予測する2011年度の実質経済成長率は大雑把には大震災のため4-6月はマイナス成長であるが復興需要が大きく年度後半には経済成長率は取り戻していき平均で0.4%としている。 その予測の中で大きな要因は計画停電の生産への影響がどの程度かということである。 東京電力管内での全国での生産シェアは33% 出荷額で約90兆円なので仮に停電の影響が10%くれば9兆円のダメージにつながるという大ごとなことになる。 関東圏の電力不足は2011年の国内経済にとって最大のリスク要因といえる。 加えて原発事故の影響であるがこちらはあまり先を読めない状況である。 さて、たしかに東北地区の生産設備の損壊の経済全体に対する影響は軽微かも知れないがその地域にとっては工場を復旧する間に生産場所が他の地域に移ってしまい生産再開したとき供給ルートが元通りに戻ってくるのかという不安を抱えている。 その生産する製品にもよるがおそらく一度他地域へ替わってしまうと元に戻ってくる確率は低いかもしれない。 これから急ピッチで被災地は復興していくことになるがそのとき被災地に立地する企業には税制面や金融面で大きな恩典を付与するというかインセンティブを与えてやり企業の進出を促す施策を考えなくてはならない。 働く仕事がなければその土地に住む人たちの生活の基盤がなくなり地域社会が成り立たないことになる。 最近、被災された人を優先的に雇用する企業が出てきてひとつの救済策として明るいニュースになっているが企業の誘致にも元の経済力をできるだけ維持ないし拡大させるような知恵を出していかねばならない。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災が起こって2週間が経とうとしている。 少しずつ復興の兆しはあるが失われたものはあまりに大きく全体経済復興プロセスは4~5年続くと考えられる。 震災が起こってから百貨店もレジャー施設もガラガラでプロ野球も開催延期は話題になったようにさまざまな行事やイベントが「被災者のことを思うと」という感情から自粛したり延期したりしている。 また何かしようとすると「いまどき不謹慎だ」と言われ中止したりしている。 震災後1週間後に娘が自分が立ち上げたエステサロンの3周年記念のパーティを相当悩んだ末開催した。 80名ほど来る予定だったが「やはりいまどきその気になれないから止めておく」と言って20名ほど欠席の連絡があったようだ。 そのパーティは(もちろん始めに亡くなった人たちへの黙祷をして)節電をしながら震災の募金をしながら行ったが、そんなパーティがあると聞いて突然の参加者もいて結局当初予定の人数となった。 そのとき大阪から駆けつけたシンガーのcifaさんが歌った「前へ前へ前へ うつむいてなんかいられない~~」は聞いていた人たちに大きな感動を与えた。 これから日本はその持ち前の互助精神のもと再建の道を苦しくも雄雄しく辿ることになるだろう。 私たちがしなくてはならないのは今自分ができることをやることではないか。 お金を出せる人は義援金を送る、ボランティアできる人は現地に出かける。しかし「被災地の人のことを思うと何もできない」というのは願い下げだ。そんなことをしても被災地の人には何のプラスも起こらない。 私は経済活動や文化活動を自粛する必要はないと思う。 被災しなかった人は節電などは必要だが普通に生活し普通の経済活動をしたら良い。 そのことが今沈滞しかけようとしている日本に貢献することに繋がるからだ。
国内外から被災地への支援の輪が広がりだした。 日本赤十字社では14日から31日までの間に阪神大震災の約4倍に当たる700億円が集まったという。どれほど多くの人が被災地の人たちを思いをかけているかということだ。 海外からでは在上海日本領事館にはすでに6億円強の義援金が集まったという。サムスンはパソコンと義援金で6億円、台湾からも20億円を越えたという。あの津波の映像は衝撃的で世界の人たちが日本に支援の手を差しのべている。 日本ではイチロー1億円などプロ野球選手の寄付が目立つが、企業では大手企業は億円単位の義援金が珍しくない。支援はお金だけではなく飲料ありパン、カップめん、オムツ、衣料などさまざまだ。 どのような災害にどれだけ出すかの判断は難しくつい同じ業界の他社を参考にするなどしているようだ。 今回の震災の復旧には20兆円は必要だといわれているがこれを日本人約1億人で負担すると一人当たり20万円という大きなものになる。 当面は国が復興国債などで対応するのだろうが不要不急の予算をカットしたり増税をしたりして凌がなくてはならない。 仮に復興費用20兆円を5年で実施するとして1年に4兆円のお金がいることになるが根拠はないができればその費用の10%、4000億円くらいは個人や会社の寄付で賄いたいものだ。 この金額は赤十字の史上最高の義援金といわれる現時点の700億円では全く不足するしこの費用は1年だけでなくその後も続くのだ。 「一度支援をされた方、追加でもう少し出してください。出そうかどうか迷っている方思い切って近くの義援金箱に少し入れてください」 日本はあまり寄付をする習慣が少ないようだが今回の震災を機会にそのような寄付文化が根付いてくれることを期待したい。
今回の大震災は未曾有の被害をもたらし被害者の悲しみ、苦しみはどれほどかと心が痛む。 先週、長崎で原爆記念館を身見た。昨年は沖縄のひめゆりの塔を訪れどちらも過去の悲惨さを心に刻んだ。 しかし長崎も広島もそして沖縄、そして戦争で壊滅的なダメージのあった日本も時を経て多くの日本人の連携のもと見事に復興した。 それほどの例を引かなくとも人の人生はさまざまな幸、不幸が訪れることはよくある。 私は6歳で父を亡くし男の子4人をもうけていた母は27歳で未亡人になって父の代わりに朝から晩まで働き4人とも大学まで出した。 その母は愚痴を言うわけでもなくいつも笑顔を絶やさず私たちにさまざまな言葉で語りかけてくれた。その中でもっとも多くかつ幼い私たちの心に響いた言葉が「運命を引き受けよう」であった。 自分の人生で起こったことは悲しみも苦しみも幸せもすべて引き受けその中で最大の努力をし自らの人生を生きていくということだ。 私の3人の子どもの長男は自閉症という障害を持って生まれ肝硬変とうつ病を患った妻は40回もの入退院を繰り返し3度の自殺未遂をした。私はそれもひとつの運命だからそのまま受け入れようという母の言葉を支えに生きてきた。 幸い妻は回復し我が家はいま平穏無事な生活を迎えている。 この1週間さまざまな友人から震災支援で頑張る様子を知らせてきた。現場の東京電力の社員をはじめ皆死ぬ気で立ち向かっている。そうしたメールを見るたび涙を流さずにはおれないと同時に日本人の強さを改めて知った。 被災された方々に熱い連帯の気持ちを込めて伝えたい「どうか力を合わせ自分の運命に立ち向かってください」と。 そして全国の日本人みんなに「全員でこの難関を乗り切りましょう」と。