佐々木常夫 オフィシャルWEBサイト
プロフィール コラム リンク お問い合わせ
コラム トップへ戻る

社会の最近のブログ記事

ジャーナリズムが亡びる日

新聞、テレビ、出版などのマスメディアはインターネットの普及により大きな転換期を迎えている。これは技術革新のなせる業であるが故になかなか抗えない現象だ。
とはいえ危惧されるのはジャーナリズムの行く末だと「ジャーナリズムが亡びる日」の著者猪熊健夫氏はいう。
ニュースはインターネットを見れば十分と言う人がいるがネット上のニュースや解説記事は既存の新聞社やテレビ局が提供したものがほとんどでありネット側は情報やコンテンツを自ら創造する能力は持っていない。
であるが故にマスメディアが崩壊していけばジャーナリズムが衰退することになる。
確かに新聞、本、雑誌などは世の中の活字離れ傾向が続き苦戦を強いられているしテレビもまた視聴率が低下傾向だ。戦後60年間新聞社もテレビ局も競争も少なく業界再編もない珍しい静かな業界であったがこれからはそうはいかなくなる。
広告収入もインターネットに侵食され減少傾向を続けておりこのままでは全国紙も地方紙も半分はなくなってしまうかもしれない。
アメリカでは新聞記者の3分の1の6000人が退職しその何割かはネットに移動し不十分ながらネットジャーナリズムが台頭してきているが日本にはその兆しはまだない
インターネットがジャーナリズムを衰退させてしまうのは本末転倒である。
ジャーナリズムには「事実の発掘」とそれを「解説、分析」する機能と役割が負わされていて前者を一次情報、後者を二次情報というがネットジャーナリズムにとって致命的なネックは一次情報を収集できないということだ。一次情報を収集するにはおカネと組織力が不可欠だ。そういう意味では日本のジャーナリズムは危機的時期を迎えている。これをどう克服していくのか、多くの英知が求められる。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

浜岡原発全面停止

多くの人が「脱原発」をいいはじめ今の状況では反論する人はいないというか口に出せない状況である。今回の「フクシマ事故」によって原発の増設は長期にわたってできないだろう
事故のためアメリカやドイツなど原発ができない国が多い中、フランスと日本がいわば敵失でその存在感を高めてきたが今回の事故でほぼ終わった。
私は大げさにいえば1000年に一度起こるかという今回の地震と津波と原子炉(この3拍子そろった場所は世界に日本とカリフォルニアしかないが)により津波の怖さもさることながらいまさらのように原発の恐ろしさを感じた。
そして今回、政府は浜岡原発の停止を中部電力に要請し中電はそれを受け入れた。
私が中電の社員だったら割り切れなさを感じるし、仮に役員会が政府の要請を即座に受け入れたら私が中電の株主なら株主訴訟を起こしたくなる。
もともと原発へのシフトは石油依存からの脱却を国是に政府が決めてきたことで、昨年も民主党政権はCO2削減のため2030年までに14基の原発増設を計画したのだ。
どこの電力会社が自ら喜んで原発を導入しただろうか。原子炉1基に巨額の資金と20年以上の歳月をかけ、住民への説得や資金提供をし、そして出来上がってみればトラブルシャットダウン、稼働率は5割、中間貯蔵施設もなかなか実現しないという苦労の連続、おそらく電力会社で原発を心から推進したいと思っている会社はなかったと思うし、このような事業は国がやるべきものではないか。
30年間で東海地震の起こる確率が87%などということは以前からわかっていたことだし津波の高さがどれくらいまで想定されるかは過去の事例を研究すればわかることだろう。浜岡に原発設置を決めたとき(福島もだが)政府はそれをどういうことで許可したのか。
それに87%は止め、数%なら止めないということは論理的に正しいのか。
いまさらとはいいながら電力会社の責任ばかりとは言えないだろう。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

原子力発電を考える

先週、テレビでマイケル・サンデル教授の「特別講演 大震災後の世界をどう生きるか」を見た。
日米中の若者を中心にそれぞれ10名ほどづつとサンデル教授が議論をしていった。
その中で「これから原子力発電とどう向き合うのか」という話になったとき「原子力とは決別すべきか」という問いに日本人は約半数賛成したのに対しアメリカの若者は全員反対、すなわち原子力は必要だと答えた。
日本人は毎日のように福島原発の悲惨な映像を見せつけられているしどうしても否定的になってしまうのだろう。
原子力を利用せざるを得ないと答えた人の中ではその理由としてかつて車も飛行機も危険であったが人間の知恵でその危険性を排除し上手く利用できるようになっていまや飛行機が不要という人はいなくなった。原子力もそのようにその危険性を克服すべきだ、と言う。
この議論にはやや飛躍はあるが、たしかに欧米日はともかく新興国を中心にエネルギー消費がますます増大していく中で石油や天然ガスだけでカバーしていくとなると莫大な資源を使うことになるしCo2の排出も大きくなろう。
事実、中国もインドもそれぞれ8基、6基の原発を増設中であり今回のフクシマがあってもストップしないだろう。
日本で原発と決別するといってもこれから増設するものはストップできてもすでに54基の設備を持ち全発電量の4分の1を占める原発とはおいそれと決別するわけにはいかない。
それと今後を考えるとエネルギー不足に国民が耐えられるのか、あるいはエネルギーのコスト高に耐えたれるのか、課題は多い。
今回の大災害の悲惨な結果は自然が私たちの暮らし方の根本に反省を迫っているし私たちの文明のあり方を問い直しているともいえる。
ある意味自然は私たちに何かを語りかけている。何かとはもっとエネルギーをという飽くなき欲望への警告でもあろう。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

震災地での復興に知恵を

東日本大震災による日本経済への影響をさまざまな調査機関が予測している。
主要民間調査機関が予測する2011年度の実質経済成長率は大雑把には大震災のため4-6月はマイナス成長であるが復興需要が大きく年度後半には経済成長率は取り戻していき平均で0.4%としている。
その予測の中で大きな要因は計画停電の生産への影響がどの程度かということである。
東京電力管内での全国での生産シェアは33% 出荷額で約90兆円なので仮に停電の影響が10%くれば9兆円のダメージにつながるという大ごとなことになる。
関東圏の電力不足は2011年の国内経済にとって最大のリスク要因といえる。
加えて原発事故の影響であるがこちらはあまり先を読めない状況である。
さて、たしかに東北地区の生産設備の損壊の経済全体に対する影響は軽微かも知れないがその地域にとっては工場を復旧する間に生産場所が他の地域に移ってしまい生産再開したとき供給ルートが元通りに戻ってくるのかという不安を抱えている。
その生産する製品にもよるがおそらく一度他地域へ替わってしまうと元に戻ってくる確率は低いかもしれない。
これから急ピッチで被災地は復興していくことになるがそのとき被災地に立地する企業には税制面や金融面で大きな恩典を付与するというかインセンティブを与えてやり企業の進出を促す施策を考えなくてはならない。
働く仕事がなければその土地に住む人たちの生活の基盤がなくなり地域社会が成り立たないことになる。
最近、被災された人を優先的に雇用する企業が出てきてひとつの救済策として明るいニュースになっているが企業の誘致にも元の経済力をできるだけ維持ないし拡大させるような知恵を出していかねばならない。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

今、なすべきことは

未曾有の被害をもたらした東日本大震災が起こって2週間が経とうとしている。
少しずつ復興の兆しはあるが失われたものはあまりに大きく全体経済復興プロセスは4~5年続くと考えられる。
震災が起こってから百貨店もレジャー施設もガラガラでプロ野球も開催延期は話題になったようにさまざまな行事やイベントが「被災者のことを思うと」という感情から自粛したり延期したりしている。
また何かしようとすると「いまどき不謹慎だ」と言われ中止したりしている。
震災後1週間後に娘が自分が立ち上げたエステサロンの3周年記念のパーティを相当悩んだ末開催した。
80名ほど来る予定だったが「やはりいまどきその気になれないから止めておく」と言って20名ほど欠席の連絡があったようだ。
そのパーティは(もちろん始めに亡くなった人たちへの黙祷をして)節電をしながら震災の募金をしながら行ったが、そんなパーティがあると聞いて突然の参加者もいて結局当初予定の人数となった。
そのとき大阪から駆けつけたシンガーのcifaさんが歌った「前へ前へ前へ うつむいてなんかいられない~~」は聞いていた人たちに大きな感動を与えた。
これから日本はその持ち前の互助精神のもと再建の道を苦しくも雄雄しく辿ることになるだろう。
私たちがしなくてはならないのは今自分ができることをやることではないか。
お金を出せる人は義援金を送る、ボランティアできる人は現地に出かける。しかし「被災地の人のことを思うと何もできない」というのは願い下げだ。そんなことをしても被災地の人には何のプラスも起こらない。
私は経済活動や文化活動を自粛する必要はないと思う。
被災しなかった人は節電などは必要だが普通に生活し普通の経済活動をしたら良い。
そのことが今沈滞しかけようとしている日本に貢献することに繋がるからだ。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

被災地への支援を継続して

国内外から被災地への支援の輪が広がりだした。
日本赤十字社では14日から31日までの間に阪神大震災の約4倍に当たる700億円が集まったという。どれほど多くの人が被災地の人たちを思いをかけているかということだ。
海外からでは在上海日本領事館にはすでに6億円強の義援金が集まったという。サムスンはパソコンと義援金で6億円、台湾からも20億円を越えたという。あの津波の映像は衝撃的で世界の人たちが日本に支援の手を差しのべている。
日本ではイチロー1億円などプロ野球選手の寄付が目立つが、企業では大手企業は億円単位の義援金が珍しくない。支援はお金だけではなく飲料ありパン、カップめん、オムツ、衣料などさまざまだ。
どのような災害にどれだけ出すかの判断は難しくつい同じ業界の他社を参考にするなどしているようだ。
今回の震災の復旧には20兆円は必要だといわれているがこれを日本人約1億人で負担すると一人当たり20万円という大きなものになる。
当面は国が復興国債などで対応するのだろうが不要不急の予算をカットしたり増税をしたりして凌がなくてはならない。
仮に復興費用20兆円を5年で実施するとして1年に4兆円のお金がいることになるが根拠はないができればその費用の10%、4000億円くらいは個人や会社の寄付で賄いたいものだ。
この金額は赤十字の史上最高の義援金といわれる現時点の700億円では全く不足するしこの費用は1年だけでなくその後も続くのだ。
「一度支援をされた方、追加でもう少し出してください。出そうかどうか迷っている方思い切って近くの義援金箱に少し入れてください」
日本はあまり寄付をする習慣が少ないようだが今回の震災を機会にそのような寄付文化が根付いてくれることを期待したい。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

運命に立ち向かおう

今回の大震災は未曾有の被害をもたらし被害者の悲しみ、苦しみはどれほどかと心が痛む。
先週、長崎で原爆記念館を身見た。昨年は沖縄のひめゆりの塔を訪れどちらも過去の悲惨さを心に刻んだ。
しかし長崎も広島もそして沖縄、そして戦争で壊滅的なダメージのあった日本も時を経て多くの日本人の連携のもと見事に復興した。
それほどの例を引かなくとも人の人生はさまざまな幸、不幸が訪れることはよくある。
私は6歳で父を亡くし男の子4人をもうけていた母は27歳で未亡人になって父の代わりに朝から晩まで働き4人とも大学まで出した。
その母は愚痴を言うわけでもなくいつも笑顔を絶やさず私たちにさまざまな言葉で語りかけてくれた。その中でもっとも多くかつ幼い私たちの心に響いた言葉が「運命を引き受けよう」であった。
自分の人生で起こったことは悲しみも苦しみも幸せもすべて引き受けその中で最大の努力をし自らの人生を生きていくということだ。
私の3人の子どもの長男は自閉症という障害を持って生まれ肝硬変とうつ病を患った妻は40回もの入退院を繰り返し3度の自殺未遂をした。私はそれもひとつの運命だからそのまま受け入れようという母の言葉を支えに生きてきた。
幸い妻は回復し我が家はいま平穏無事な生活を迎えている。
この1週間さまざまな友人から震災支援で頑張る様子を知らせてきた。現場の東京電力の社員をはじめ皆死ぬ気で立ち向かっている。そうしたメールを見るたび涙を流さずにはおれないと同時に日本人の強さを改めて知った。
被災された方々に熱い連帯の気持ちを込めて伝えたい「どうか力を合わせ自分の運命に立ち向かってください」と。
そして全国の日本人みんなに「全員でこの難関を乗り切りましょう」と。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

ベテランの味

ちょっと古い話になるが2週間前、日本シリーズ最終日に娘と二人で東京読売カントリーに出かけた。
前半、目も前でバーディを重ねる遼くんを興奮しながら見ていたが、途中から最終組について回った。
最後は17番で執念のイーグル、最終18番で芸術的バンカーショットをしパーで収めた藤田寛之が優勝した。
最後のパットにはしびれたがキャディの梅原敦がグリーン上で泣き崩れた姿に思わず感動の涙が出てしまった。
ゴルフはスポーツのなかでも年齢を重ねてもできる数少ないスポーツである。
最近は池田勇太や石川遼など若手の台頭が著しいが藤田のように41歳の活躍はいぶし銀のような技術力で結果を残すのを見ると中高年にはうれしいものだ。
スポーツとは違うが経済界でも年配の方の活躍が見られる。
いまでも世界の経済関係の国際会議では槙原稔さんや行天豊夫さんなど高齢の人が活躍しているがそのあとに続く人がなかな出ないという話を聞いた。
槙原さんなどはアメリカの大学を出て遊学したあと三菱商事に入社され長くアメリカ生活をしたかなり変わった会社人生を歩んだ人で通常なら社長にならなかったかもしれない経歴を持つ。
最近の大手企業の社長は自分の会社のことには精通しているが、世界情勢のこと、政治のこと、人生のことなどには関心を示さず勉強もしない人が多い。
会社で昇進していくにはそういったことは評価の対象にならないからだろう。
今の社長の選抜の仕方ではどうも世界の中で伍して戦える人材を見出すようにはなっていないのかもしれない。
そのため全体を考える日本の経済界の真のリーダーが育っていっていないのではないか。
スポーツ界の話がいきなり経済界の話になってしまったが経済界の高齢の方の活躍は決して喜べない。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

社会的弱者

私の3人の子どものうち1人は障害(自閉症)である。3歳でそのことを知ったときは驚きとどうして自分の子がという若干の怒りの気持ちであった。
自閉症者親の会に入ったり多くの障害を持つ子どもとその親に接しているうち、こういった障害はよくあることだと次第に現実を受け入れるようになっていった。
考えてみれば別に障害を持たなくとも弱い人はいくらでもいる。成績の悪い子、引きこもりがちな子など健常者であってもいろいろハンディを持った子がいてその親にとっては障害者の親と同様の悩みを抱えることになる
そういう意味では障害を持っている子どもも健常な子どももハンディを持っているという点では同じである。
何を持って障害者というのか?その垣根はあいまいではなかろうか。
会社の中には仕事のできない人、コミュニケーションをとるのが苦手な人などさまざまな弱い人がおりそのような人は会社にとってはある意味障害者に近い存在である。
会社というのは男性女性、仕事の早い人遅い人、話が得意な人寡黙な人、さまざまな人がおりそれらの人たち全体のアウトプットがその組織の成果となる。
そのためには強い人をより強くすることはもちろん大事だが弱い人をより強くすることが総体をかさ上げする上で必要なことである。
ユニクロでは障碍者雇用率8%と法律で定めている水準を大幅に上回っているが柳井社長は「障害者がいると皆が力を貸してあげるようになって全員で協力して仕事をするという連帯意識がでるので組織を強くする」という。
弱者に活躍してもらうこと、弱者をサポートすることが社会の安定や全員の幸福度向上につながりこの世の中をすみやすくする。
社会全体の品質や幸福度をあげるために為政者など責任ある人はもちろん社会を構成するすべての人たちが努力をしなくてはならない。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会

ノーベル賞と若者

先日ノーベル化学賞に根岸栄一さんと鈴木章さんが受賞した。連日その栄誉をたたえる記事とともに日本の科学技術の今後を心配する解説が続いている。
つまり最近の若い人の理科系志望者が減少していることや欧米に出かけて研究をする人が少なくなったということなどである。
理科離れの背景は子どもを巡る状況として、理科科学教育の変化、自然に触れる機会の減少、子どもの好奇心、遊びの変化などがあり、また社会人を巡る状況としては科学技術に対するメディアの扱い(原子力事故や感染症など失敗例の報道)、会社での文系出身者との待遇格差などさまざまな要因があるとされている。
しかし子ども巡る状況変化は例えば教育や遊びの変化などはすべての子どもの問題であり必ずしも理科科学教育だけの問題ではない。
理系への希望者数が減っているからといって日本の理系レベルが下がるというのは早計ではないか。日本における製造業のGDP比率が20%まで減少しサービス業が増加する社会環境の中では理系が相対的に減っていくのある意味当然のことだろう。
また文系と理系では生涯収入で文系が高いといわれるが、それは商社、金融、保険などに就職し製造業に行くことが多い理系との差がでているのだろう。
おそらく製造業の同じ企業の中では文系も理系もそれほどの差はあるまい。
海外に武者修行に出る若い人が少なくなったと嘆くがこれもまた理系に限ったことではなく新入社員の半分が海外では働きたくないというデータもある。
以前は海外に行くことがある種漠然と出世の道と思われたり得るものが大きいと考えられていた。しかし最近の若い人はさまざまな情報が入ってきて海外がそれほど夢のあるところではない、海外に行っても異文化の中で苦労も多いし、帰ってきてもポストがないなどいわばインセンティブがないことに若い人が気がつき出したというのが本当のところではないか。
理系科学の心配もさることながら私のような文系のものにとっては日本でノーベル経済賞を一人も取っていないことのほうがよほど気になるのだが。


コメント(0) | トラックバック(0) | 社会