読んだ後は極上のワインを味わったような久しぶりに本に酔った気持ちである。 931室の客室、レストランやバーが10以上、30室もの宴会場、従業員2000人という巨大ホテルである帝国ホテルは海外からの賓客を迎える国の迎賓館としての役割を120年間果たしてきた。 そのホテルを支える社員のうち30人の人を選び、入社の動機、新人時代のエピソード、思い出深いエピソードなどを引き出し著者ならではの軽妙なタッチで紹介していく「帝国ホテルの不思議」(日本経済新聞社 村松友視)。 総支配人の安保さん、総料理長の田中さん、ドアマンの宮川さん、ランドリーの栗林さん、「氷彫刻」の平田さん、ホテルの仕事はなんと多岐にわたるのかと驚く。 それよりもなによりもそれぞれの担当の方が常にお客さまのことを考え極上のおもてなしをそのプライドにかけて提供していく。誇りはあるが驕りのないプロの働き方には圧倒される。 お客さまの一人ひとりの期待値を見抜いて対処するがそれに紙一枚乗せたサービスをする。 さまざま魅力的な登場人物だが私が最も惹かれた方の一人は格式と伝統ならではのスタッフ、会員制バー「ゴールデンライオン」のピアニスト矢野康子さんである。 彼女は「百人のお客さまの中に一人の本物がいることを想定してピアノを弾く」。 矢野さんは齢80 その歳になっても日々の研鑽は欠かさないプロフェッショナル。今夜にもゴールデンライオンに行って彼女のピアノを聴きたくなる気持ちになる。 もう一人は客室マネージャーの小池幸子さん。お客さまは「十人十色」ではなく「一人十色」というプロの境地は言いえて妙である。 マニュアル対応に満足する大人のお客はいない。日々お客の顔を覚え臨機応変に考え特別なサービスをする。 日本のおもてなしの究極を目指すプロの生きざまで読んでいて時を忘れる物語であった。
マズローは、その欲求五段階説で「人は自己実現のために働く」と規定している。しかし、私はそのもう一段上に「人は自分を磨くために働く」ということがあると考えている。 今よりももっと難しい仕事にチャレンジしたり嫌な人ともきちんと付き合うことによって自分を磨いていく。その結果みんなに愛されたり尊敬されたりして、自分が幸せになるというのが私の持論だ。 「自分を超える法」(ピーター・セージ ダイヤモンド社)の内容はそんな私の考え方に近い。 以下、ピーターの主張である。 人には、安定感(安定したい)、不安定感(変化が欲しい)、重要感(価値ある存在でありたい)、愛とつながり(愛されたい)、成長(成長したい)、貢献(何かに貢献したい)という6つの基本的な欲求がある。 そしてこの欲求の中で人生の本当の喜びは「成長」と「貢献」であり、人は本来、成長し何かに貢献するために生まれてきた。 生命とは成長そのもので成長しない生命はすべて死ぬ運命にある。 そして成長するための唯一の方法は困難に立ち向かったり大きな失敗をすることだ。 安定感、不安定感、重要感、愛とつながりといった4つのニーズを満たすだけでは自分のためだけの人生を生きることになりそれは根源的な喜びとはいえない。 本物の重要感を持つ人は自分勝手な欲を手放し、失敗や試練によって成長しそして世の中に貢献していく。 力(パワー)というのは世の中に貢献したいという思いの強さに正比例して与えられる。と彼はいう。 私は「自分の幸せのために自分を磨く、つまり成長する」と考えているのだが彼は「成長し貢献」することが「真の充足感、真の喜び」だという。 ピーターの方に説得力がある。
私はこの数年間、著書や講演を通じて「仕事も大切であるが自分の生活も大切にしよう」というワーク・ライフ・バランスの必要性を説いてきた。 ある講演が終わって「私は仕事は定時に終え早く家に帰りたいのですが職場はみなすぐには帰らないため帰りにくい雰囲気なのです。どうしたらいいでしょうか?」という質問があった。私は「帰りにくくて帰れないなら帰らなければいいでしょう。早く帰ってやりたいことがあるなら早く帰ればいいでしょう。それは貴方自身が決めることであって私ではありません」と応えたことがある。 自分は何者であるか、どんな仕事や生活をしたいのか、どんな人生を目指したいのかといったことは自分でよく考え実践すべきでそういった自分の生き方の基本は例えば会社に入ったとき、30歳になったとき、課長になったときなど節目節目に自らたな卸しすべきだろう。そういったことが自分や周りの人そして社会を正しく理解し自分が幸せになることに繋がると思う。 人は会社や他人のために生きているのではなく自分のために生きている。 人は一人ひとり自分の人生の主人公なのだ、その席を決して他人に譲ってはならない。そのためにはそれなりの「決意と覚悟」が必要で節目の時期に自分のたな卸しをして自分の生き方を確認する必要がある。 自分を大切にすること、つまり自分自身が幸せになることを目指し努力すべきと思う。
百年前に書かれたSF小説を今読むと大抵のことは現実化している。 百年前には荒唐無稽と思われたテレビ、飛行機、ロボットなどは我々にとっていまや身近な存在である。 では当時のSF作家が神の如き慧眼で未来を見通していたかというとそうではなく当時の人たちが「こんなものがあればいいよね」と思った夢や憧れを小説として書いただけだ。 当時の技術では実現不可能と思えるものでも、その後の科学の進歩で実現可能になっていった。 昔は天気予報も台風情報もわかる術がなくある日突然台風が来て壊滅的被害を受けたりしたが今は前もって備えができる。 結核は不治の病だといわれたが今はそんなことはないしさまざまな病気が医学の進歩で克服されている。 昔、空を飛ぶということは危険に満ちたことで飛行機などそれこそ「とんでもない」乗り物だったろうがいまやあぶないから乗らないという人はほとんどいない。 科学の可能性というのはどこまでいくのだろうか。 では宇宙旅行や原発はどうだろう。なんとなく宇宙へはいつかは一般の人も安全に行けそうな感じがする。 そうしたら原発はどうだろうか。 フランスなどは人類の英知で安全に稼動させかつ環境に優しいエネルギーとして保持し続けたいと考えているようだ。それに対しいまやドイツやもちろん日本もこんなに危険なものは廃絶すべきだという人が多い。 今回の原発の事故はリスク管理の怠慢から起こったことに過ぎないのではないのか。仮にあのような津波が来ると想定していたら事故は防げたのではないのか。 このような原発擁護のことを書くと非国民のように思われるが原発は全廃すべきというあまりに右から左に飛んでしまう発想はもう少し柔軟に考えてもいいのではないだろうか
女子プロゴルフ世界ランキング1位で電撃的に引退を表明したメキシコのロレーナ・オチョアのニュースは、ゴルフ関係者のみならず、多くの人に衝撃を与えた。 彼女は'07年から3年間に渡り世界1位の座をキープしたばかりでなく、まだ28歳という若さで、まだまだその活躍を期待されていた。
彼女は昨年12月にメキシコの航空会社の幹部と結婚したが、相手は再婚で前妻との間に3人の子供がおり、今回の引退は家庭生活を優先させたためとされている。 これが男性のプロゴルファーだったらどうだろうか。子どもや妻のため、その仕事を捨てるだろうか。「男はそんなことはない、だから女性は・・・」などという中高年男性の声が聞こえてくるようだ。
会社で将来を期待され、社内随一の仕事振りであった女性が出産、育児の過程で辞めていくことをどう考えたらいいのだろう。 もちろん男性にも仕事か家族かといったことにまれに直面することはあるが、女性の場合の多くは現実的で深刻である。
男性には決して起こらない悩みであるが、「だから女性は・・・」ということではない。 ダイバーシティは雇用均等法のような男女を同一視する考え方ではなく差異は認めるという考え方である。
彼女は自分のゴルフでの生き様と家族の有り様とが大きく目の前に立ちはだかり、真剣に悩み最後に家族を選んだのだ。
ゴルフが嫌になったのではない。記者会見の涙は自分の志の一つをもう一つの志によって捨てざるを得なかった悔いの涙でもあったのではないかと私は感じた。 そのような選択をした人が自分の身近にいたらどれほど幸せな気持ちになるだろうか。 そしてそんな女性が子育てを終え再びゴルフ界に戻ったらテニスのクルム伊達のようにまた違った感動を与えるだろう。