勝間和代さんのあとを追いかける私 先日、日本フィランソロピー協会主催の「ワーク・ライフ・バランス実現による次世代育成のための環境整備」というシンポジゥムがあり、今マスコミに露出度が極めて高い勝間和代さんの基調講演を聴いてきました。 このシンポジュウムは東京、大阪、福岡3箇所で開催される予定で、東京は勝間さんが、福岡は私が基調講演をすることになっていること、また、私がNTTドコモから依頼されワーク・ライフ・バランスの講演をしましたが、私の前は勝間さんだったということ。つまりたまたま私が2回続けて勝間さんの後を追いかけているようなことになっていたので、若干親近感もあって講演を聴きに行ったというわけです。 勝間さんの出版する本は「無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法」「お金は銀行に預けるな」など次々に10万部を超えるベストセラーとなっており、今や有力書店には「勝間コーナー」ができるほどの売れっ子ぶりです。 その日も興味ある話をされていましたが、その中でも面白かったのは勝間流「わらしべ長者理論」でした。
目の前のことをしっかりやっていると道が開ける わらしべ長者というのは、昔、彦造という貧乏な若者がおり、ある日金持ちになりたいと神様に拝んだら、「この神社を出たところで手にしたものを大事にするように」というお告げがありました。彦造は神社を出たところで転んで手に掴んだのはわら。そのわらにあぶを付けて歩いていたら欲しがる子どもがいてそれをあげて代わりにミカンをもらう、そのミカンを喉の渇いた女性にあげて反物をもらう、反物が馬になり、馬が屋敷になり、最後に彼は大金持ちになるという話です。 要は目の前にあることをしっかりやっていると道が開けるという教訓ですが、勝間さんは「キャリアというのは一歩一歩の積み重ね」で「人よりちょっとだけ優れたこと」をするのが成功の秘訣と力説していました。 最近の私の場合、3年前ひょんなことから家族と仕事のことが週刊誌のAERAに取り上げられ、それを読んだ東京電力の方が自社の幹部への講演に私を呼んでくれ、その講演のテープを聴いたWAVE出版の玉越社長が私に本を出版するように勧めに来て、出版したら、朝日新聞の「人」欄に掲載されたり、テレビ朝日、NHK、日本テレビ、ガイアの夜明けなどの特集番組で放送されました。
3年前と大きく変わった人生 そんなことがあって男女共同参画、ワーク・ライフ・バランス、障害者の会などさまざまな団体との交流へと広がり、シンポジウムやパネルデスカッション、講演などに引っ張り出されるようになり、現在では月に4,5件の講演と取材、執筆などを行うようになってしまいました。 北京の清華大学に招聘され講演したことがきっかけで中国語での翻訳出版も予定されています。 また、この本とは関係はないことですが、日本経団連でいろいろ活動していたことが、内閣府や国土交通省の審議会の委員になることに繋がりましたし、また、そんなことの積み重ねがもとで大阪大学の客員教授にもなりました。 3年前の自分と現在の自分とでは知り合えた人の数や活動範囲の広さは比べるべくもないほどの大きな変化となりました。大げさに言うと、住んでいる世界がまるで変わってしまったのです。 この話とわらしべ長者理論とは必ずしも同じではありませんが、「目の前のことをきっちりする」ということと「ちょっとだけ頑張る」ということの積み重ねが人生を大きく変えてしまうことがあるのだと感じました。
仕事のパレートの法則 主として経済学で使われる用語で「パレートの法則」というのがあります。 即ち「富の8割は2割の人に帰属する」といった「8割2割の法則」のことですが私は「仕事のパレートの法則」もあるのではないかと考えています。 つまり「重要な仕事2割をやればその人のかかえる仕事の8割が達成できる」ということです。 会社にはやたら多くの仕事があり、重要な業務もあるが取るに足らない雑用も数多くあります。 そんな中で全ての仕事をやっていたのでは時間がいくらあっても足りません。 もちろん雑用であってもしなくてはならない業務もあるので、いかに最低限のインプットでどの程度の完成度で済ますかを良く考え、もし他の人にしてもらえる業務であるなら極力自分がしないことです。 仕事を分類すると、今やる仕事、後でやる仕事、自分がやる仕事、人にやらせる仕事の4区分があり、仕事が発生したときに大事なことは自分がやらないで済ますということです。
「会議に出ない」「人に会わない」「書類を読まない」 会議に出るか出ないかということは極めて重要なテーマで、私は、会議は出なくてすむものはできるだけ出ないようにしています。もちろん、仕事というのは、チームで連携して進めることが多いですから、会議に出ないというのは難しいことではあります。 しかし、よく同じ会議に自分と同じ組織の人が2人も3人も出席していることがあり、そんな時は、自分は欠席し、出席した人に後から結果を聞くということで会議時間をいただくことができます。 また、人と会って話をしなくてはならない仕事か電話やメールで済む仕事かは慎重に考えなくてはなりません。出かけていって人に会うとなると多くの時間が必要になるからです。 私はいくつかの政府の審議会の委員をしていますがが、事前に役所の方、例えば課長と担当者の2人が事前の説明に来たいと言われることがあります。私は、ほとんどの場合、断って関連の資料をメールで送ってもらい、資料を読んだあとに電話で話を聞くことにしています。もし来社してもらって、事前説明を受けることになると、国のため働いている有能な官僚の方2人の往復時間も入れ、2時間半か3時間を浪費させることになるからです。この例などは人に会わずに済ませられる話です。 また、私のところにアポイントをとって訪問されるケースで3人、4人で来られ、その中で最初から最後まで一言も話さない人がいて何のために来たのかと思うことがあります。 先日も私に効率的な仕事の進め方の講話をして欲しいという会社があり、そのときはなんと5人で来社されたのにはびっくりしました。そのような依頼なら来るとしてもせいぜい2人でしょう。そんな会社には効率化のネタが山ほどあるに違いないと思いました。 この用件は本当に相手に会わなくてはならないのだろうか、メールを上手に使って対応したら済ませられるのではないだろうかなど良く考える必要があります。 また、私は回覧されてくる書籍やレポートについても何を読むか、読まないかを決めています。新聞、雑誌、レポート、これらを少しずつでも読んでいたら時間はあっという間になくなります。自分に与えられた時間は少なくそれほど重要でないものは極力読まないことです。私は自分の書類箱に訪れる書類の50%は読まなくてもいいものだと思っています。 ここで言う「会議に出ない」「人に会わない」「書類を読まない」という「出ない、会わない、読まない」という考え方は、ある意味で大変危険なことであり相当慎重に考え判断しなくてはなりませんが、このことによる時間増大の効果は驚くほど大きいのです。
2ヶ月分のカレンダーを「見る」 私の机の上にはいつも1ヶ月分表示されている卓上カレンダーが置いてあります。 例えば1月のカレンダーには、15日は部長会とか20日までにはA社の経営改革企画書完成、25日は障害者の会での講演などとイベントや行事、レポートの締め切りなどを記入してあります。 その1ヶ月分を毎日「見る」ことによって残された時間や必要なアクションを体感し準備します。 さらに大事なことはその1月のカレンダーの隣に次の月つまり2月のカレンダーも並べておきそこにも予定を書きこんでおくことです。即ち2ヶ月分の卓上カレンダーを見ることによって、いつも1ヶ月から2ヶ月先のスケジュールを毎日「見ている」わけですがこの効果は意外に大きいのです。 通常手帳を見て予定をチェックしますが、手帳は残念ながら一見では1週間か2週間しか見れないようになっていてその先はブラックボックス的です。最近は、いろいろ工夫した手帳があって何ヶ月分も記入できる蛇腹式の手帳などありますが、まだまだ主流ではありません。 1~2ヶ月先のスケジュールを見ていて大きなイベントや重要な報告書の〆切の前にはできるだけ予定を入れないようにするのです。
時間予算は3割 また今日が水曜日だとして来週の水曜日までに仕上げなくてはならない重要な企画書があったとします。その間、会議や出張の予定があって、仮に残されたというか自分が使える時間がざっと10時間だとしますと、こうしたとき真に使える時間は30%の3時間と覚悟しなくてはなりません。これはいわば「時間予算」という考え方です。 何故かというと、自分の時間というのは突然の他人の訪問、上司からの呼び出し、社内外からの電話などで大体予定していた時間の70%は飛んでしまうものだからです。 したがって私は絶対に完成しなくてはならない仕事が控えている場合は自分のスケジュールに自分へのアポイントを入れることにしています。来週の水曜日までどうしても仕上げなくてはならない企画書があったらスケジュールが空いている今週の金曜日の午後1時から3時まで自分へのアポイントを入れ、他の予定を入れないようブロックしておきます。 そしてその時間帯は会議室へこもるなり喫茶店に行くなりして自分の時間を確保するのです。 余談になりますが在宅勤務(テレワーク)の効果がある意味で抜群に大きいのはこの飛んでしまう70%のロスが生じないことで、在宅勤務の場合、時間予算は9割くらいになります。 在宅勤務では突然の来客も電話もなくいわば誰からも邪魔されず(といっても家族や宅配便などには邪魔されるが)集中して仕事ができるので自己管理できる人にはお勧めの働き方です。 私は昔、どうしても完成させなくてはならない仕事があったとき、午前中、社外で用事があることにして、自宅でその仕事を完成させたものでした。