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経営・仕事の最近のブログ記事

会社は家族 社長は親

私は会社とは何かということを長い間考えてきたが最近、「会社は家族 社長は親」(PHP出版)を読んで感ずることが多かった。
この本は「日本で一番大切にしたい会社大賞」を創る推進役をされた法政大学の坂本光司さんとIT企業で障害者雇用について熱心なアイエフエスネットの渡邊幸義さんの交互のエッセー集である。
会社はさまざまな目的を持っているがこの表彰制度が最も重要な目的として挙げているのは「社員の幸福を通じて社会に貢献する」である。
そのため社長は上司でも、管理者でもなく親のような存在であるとして社員を簡単にリストラはしない、丁寧にコミュニケーションをとる、相手を思いやるといったことをすべきでそうすることで社員はその能力を最大限に引き出せるとしている。
この本を読んで驚いたのは障害者の働く力である。
社員の70%が知的障害者という日本理化学工業の成功の具体例を知ると工夫と努力次第で人の能力は相当引き出されるということがよくわかる。
私には自閉症の子がいた関係で障害者には働く機会が限られていることはよく知っているがこの本に書いてあるような事例を見ると勇気付けられる。
人の弱いところではなく強いところを引き出して仕事をしてもらうのが組織の知恵ではないかと思うし社員はみな家族といった視点で対応すれば社員の能力もモチベーションも上がる。
私は利益を上げることは会社の目的ではなく条件であると考えている。
会社の最大の目的は「世のため人のために尽くすこと」そのためにはまず経営者が「社員は家族」と考えることから始まる。
社員の幸せを考えない会社が社会を幸せにできないからだ。


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誰かのために働くかということ

日本中に感動を呼んだ「日本一大切にしたい会社」(坂本光司著 あさ出版)の中に中村プレイスが紹介されている。その会社の中村俊郎社長が「コンビニもない町の義肢メーカーに届く感謝の手紙」(日本文芸社)という本を出した。
冒頭、乳がんの手術で片方の乳房を切除してしまい何年かにもわたってつらい思いをされてきた40代の女性からの手紙が紹介されている。
「このたびは本当にお世話になりました。待ちに待った私の分身を手に取ったとたんうれしさといとおしさで胸が一杯になり涙がこぼれて止まりませんでした」
7歳の女の子から「おじさん元気ですか?わたしは元気です。作ってもらった耳はとってもすごかったです。すごいしりっぱでした。うれしかったです。ありがとう。」
手や足をなくした人、乳房を失った人の義肢作りを通して出会った34通の手紙。
受け取った人たちの心からの感謝の気持ちが伝わってきてしばしば読むのを中断してしまった。
中村俊郎さんはお姉さんが勤めていた病院の先生が「自分の息子がもし医学部に入れなかったら技手製作の仕事をさせたい」という言葉をきいてこの仕事を選んだという。
一人アメリカに渡り修業を積み日本に帰国してから島根県大田市大森町 わずか500人の町で全く一人で仕事を始めいろいろ苦難の道を辿りながら今日の会社を作った。
従業員は70名、年間の売上高は10億円、社員みんなが仕事の姿勢の原点に人のために尽くしたいという気持ちがあり、また仕事の結果に感謝してくれる多くの手紙がやりがいと喜びになっている。
遠く北海道や大阪からも入社してくるという。
このような仕事ができるこの会社の社員はうらやましいとは思うが中村プレイスほどではないにしてもどんな会社でもみな社会に貢献している。そのことを経営者は自分の心の真ん中におき社員と共有していくことが大事だとしみじみ思う。


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君は一人ではない

精神科の医師の「自殺者には話し相手がいない。だから死を選ぶ」という新聞記事の記事を読んだ野口誠一氏は自分の倒産の経験を活かし経営に行き詰って苦しんでいる人たちへのアドバイスする会を作ろうとして「八起会」を立ち上げた。「人生は七転び八起き」という言葉から来ている。
この会の「倒産110番」のベルの鳴らない日はないという。倒産し死を覚悟した夫婦が野口氏の出会いにどれほど感謝したかの記述は感動的でもある。
野口氏は訪ねてくる倒産した社長たちに対し「倒産は不況のせいではない。すべて社長が招いたこと。しかし倒産や経営危機を機に社長が自らの心を見つめ直せば、やり直して真に人として幸せになれる道も開ける」と諭す。
野口氏は倒産を余儀なくされた経営者には多くの共通点があり、それは自己中心、悪いことは他人のせい、真の勇気が無い、お人好し、反省心の欠如、などだという。
一方、成功する経営者の共通点として 常に学ぶ姿勢、奉仕の心を失わないなどがあるといい、謙虚さが大事で「経営者は心を使え」と力説する。
「不況だから倒産するのか?」(野口誠一 佼成出版社)はひとり経営者だけではなく人がどう生きるべきかを示唆している。
余談だが、ある入社3年目の男性から「先週、会社に辞表を出しましたがそのあと佐々木さんの「働く君に贈る25の言葉」を読んで『それでもなお』のところで涙がこぼれて仕方がありませんでした。まるで私の事情をすべて知り抜いて語りかけてくれているようでした。明日辞表を撤回しもう一度チャレンジしてみます」というメールがきた。
退社という大きな決断するのに周りに相談できる人がいないのだろうか?話し相手が少なくなった現代は寂しいし生きにくい世界のようだ。みな助け合ったほうが幸せになるというのに。八起会のような存在は得がたいものだ。


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世界中の優れものの学びのストーリー

最近、人に薦められ35人の経営に関する世界的リーダーや思想家がどのように「経営の真髄」を学んでいったかをまとめた本を読んだ。
「ストーリーで学ぶ経営の真髄」(徳間書店)著者はリーダーシップ開発の世界的権威であるマーシャル・ゴールドスミスであるがさまざまな高名な人たちの経営について考え方や思想をオムニバスのように取り上げておりなんとも贅沢な本である。

「ビジョナリー・カンパニー」シリーズの著者であるジェームズ・C・コリンズは学習する組織について「学ぶことで経済的見返りがあるかどうかを問うことは呼吸することで経済的に得るものがあるかを問うことと同じである」といい学ぶことは人生の当然の基本動作ととらえている。
「7つの習慣」で有名なスティーブン・R・コヴィは「もし他人に影響を与えようとするなら、まず影響を受ける必要がある。もし理解されたいと願うならまず相手を理解しなければならない」「人々に学習させるための最良の方法は、彼ら自身に教師になってもらうことである」といい自分を主張する前に人の考え方を受け入れる大切さを説いている。
この本はそれぞれのストーリーの終わりに読者に対する質問や学習ポイントが示され一つずつの章の内容を自分の頭で整理しながら読み進められ、多面的切り口で経営の真髄をダイジェストでアドバイスしてくれる。
学ぶことの大切さや楽しさが伝わってくる。そばにおいて時々開いたところを拾い読みしてみることでもいいだろう。
多くの世界的リーダーが自らの体験を基にさまざまな切り口から貴重なアドバイスをしてくれる。
なんとも奥が深く示唆に富んだストーリーであるがあまりに多くの学びが凝縮されていてもう少し絞って欲しかったとさえ思える本である。


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難解なドラッカー本の解説

「もし高校野球部の女子マネジャーがドラッカーのマネジメントを読んだら」は昨年ベストセラーのトップを独走しすでに270万部を超えた。
この本の後押しもありドラッカーの「マネジメント・エッセンシャル版」は100万部を超えビジネス書としては異例の売れ行きだ。
しかしこの本はなんとも難解でわかりにくい。
ドラッカーはわざわざ一般読者が理解しにくいように表現をしているのではないかと思われるほどである。
「企業の目的は利益を上げることではない。顧客の創造である」とドラッカーはいう。
しかしかつて長い間高収益を記録してきたIBMの業績が悪化し、RJRナビスコのCEOだったルイス・ガースナーが会長兼CEOになったとき彼が最初に言ったことは「いま現在のIBMに最も必要ないもの、それがビジョンだということだ」「いま最優先すべきは収益性の回復だ。会社のビジョンを掲げるのであればその第一は利益を出すことだ」であった。
「企業を経営する上で利益をあげることは経営の最低の条件で、利益も上げずにビジョンだ、顧客だ、などとご託を並べるな」ということなのだろう。
利益を上げることはたしかに企業の条件かもしれない。しかしそれは絶対の条件で顧客の創造など言う前に利益を上げなければ企業は存在できない。
それにしてもドラッカーの本を読んでほとんど理解できなかった人は私も含めおそらく90%以上いるだろう。
そのためこれは捨て置けないと考えた何人かの人がその解説本を出している。「ドラッカーの実践経営哲学」(望月譲 PHP研究所)「ドラッカーと松下幸之助」(渡邊祐介 同)「ドラッカーが「マネジメント」でいちばん伝えたかったこと」(小宮一慶 ダイヤモンド社)
これらの本を読むと「なんだそんなことか」という気になるのだがなんともドラッカーは罪作りな方である。


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営業の本質

百科事典を見ると「営業とは営利を目的として業務を行うことをいう」とある。
一方、営業とは企業活動の集合体を指す言葉としても用いられており営業活動とは「利益」を生み出すことを目的としたもの、つまり「事業を営む」ことである。
そのためには顧客の欲しいものは何かなどを適切に探り当てそれを適正な価格で供給しなくてはならない。したがって営業の本質は「モノを売る」ことではなく「知ること」であり「事実は何かというファクトファインディング」が出発点にないと成功しない。
そうした活動を通じて利益を獲得していくわけだからから企業行動や営業の最先端に顧客がいる。
そういうことからドラッカーは「会社の目的は顧客の創造である」と喝破した。
つまり企業がどのような行動をとるかはある意味顧客が決定することになる。
顧客が何をいくらでどれだけ買いたいかによって企業の行動が決まってくるし、顧客が気づいていない、製品化したら喜ぶモノやサービスを探し出し提供していく。
それを正しく遂行することによって「顧客に支持と満足をいただき」結果として「顧客に幸せをもたらすこと」が営業の最終の目的である。
そのために必要なマーケティングとは小手先のスキル、技法ではない。顧客を基点とした活動、つまり顧客のニーズを満たすこと、あるいは顧客のニーズを作り出すという大きな発想法であり仕掛けのことだ。だから例えば生産部門に適切な品質やコストを確保してもらうことも営業の大事な仕事といえる。
私は企業の理想の姿は営業しなくても商品が販売できる、そういう仕組みを作ることだとさえ思っているし新しいビジネスモデル(例えばコンビニを展開するなど)を作るなどイノベーションを興すことも大事な仕事だと考える。


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左遷を左遷にしてしまうのは自分

 最近アサヒビールの瀬戸元社長の回顧録を読んでいたらこの方が何度か左遷されたそれを乗り越えてきたことが書かれていて興味深かった。
長く会社員をやっていれば意に沿わぬ人事に会うこともあり、なかには明らかに左遷と思われるケースもある。 ただ、そうした左遷人事を本当の左遷にするかどうかは、つまるところ自分しだいである。左遷人事でも何かしら得るものはあるもので傍流の人たちと出会い、そこで今までにない考え方を発見したり、新しい人脈を築いたりできれば、その左遷は意味があったと言える。
 「左遷」というのはしょせん価値観の問題で「新天地」であり「新しい体験ができる場」と考えれば、それはたんなる人事異動であり左遷にはならない。
 左遷された原因は上司に嫌われたり煙たがられたといった、たんなる私情から起こることかもしれないがだからといって上司を恨んだところで何の益もない。
 上司だって人間で公平に接しようと思っても、かわいいと思う部下もいれば煙たく感じる部下もいる。理不尽と思うかもしれないが、組織に属する限りそれは仕方のないことだ。
 これをいい機会と捉えて奮起したり自らを省みるきっかけにする。自分ではまるで身に覚えがない不当と思える人事でも、よく考えれば思い当たるふしはあるものだ。
 組織の中で力を発揮し引き立てもらうには、周囲や上司を味方につけるための根回しなどの努力も必要でその意味では左遷されたのも自分の責任であり、逆に上司の覚えめでたく栄転すればそれもまた自分の力なのだろう。
 人は自分の器どおりの人生しか歩めないと考えれば、左遷されても社長の器の人はそれをバネにいずれ社長になるかもしれない。左遷されたことを恨みそこで腐って終わるようなら、それはそれでその人の器なのだろう。


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人は何のために働くのか

アメリカのアブラハム・マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化した。「マズローの欲求段階説」と称されている。
第1は「生理的欲求」で生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的欲求でこの欲求が満たされないと人間は生きていくことが難しくなる。
第2は「安全の欲求」、第3が「所属と愛の欲求」、第4が「承認の欲求」、そして最後の第5段階の欲求が「自己実現の欲求」で自分の持つ能力を最大限発揮し具体化したいと思う欲求である。つまり人間は生活のためお金を稼ぐというプリミティブな動機から離れ、自己承認や自己実現のために仕事をするということだ。
 私はその上にもう一つ高い段階があると思う。
 それは、「人は自分を磨くために働く」というか「自分を成長させるために仕事をする」ということだ。
 人にはもって生まれた欲があり、他人を嫉妬したり嘘をついたり悪口を言ったりする。それは人の本能かもしれないが、躾や訓練によってそれらのことは修正できる。さらに磨きをかけるとだんだんと人間として高みに登っていき、人に慕われ尊敬される存在になっていく。
 いわば魂を磨くことで、物欲や支配欲、嫉妬、悪口から離れていく。
 それは自分を磨くことによって到達できる最高の人間像ではないだろうか。
 その行きつく先は神や聖人に近づくということだがそれによって、自分も人も社会も幸せに近づく。
 多くの人は到底そんな聖人君子のレベルには到達していないが人類の歴史にはそれに近づいた人がいる。マザーテレサやガンジーのような人であるが、そのような人の存在は自分も他人もそして社会も幸せになるのではないか。


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真面目に働くこと

企業経営にとってなによりも重要なことは、「真面目に働くこと、真面目に考えること」である。私の会社の属する東レグループはものづくりをする製造業であるので特にこのことが求められる。
日本の製造業はかつて、世界最高レベルともいえる製品を世界に提供してきた。
このような珠玉の工業製品をこれからも作り続けられるかどうかが、厳しい国際競争の中で生き残れるための条件となるが私は、日本人はそのDNAを持っていると思う。
例えば最近、日本人はモラルが低くなったとか治安が悪化したなどとよくいわれるが本当にそうだろうか?
例えば、日本とアメリカの刑務所人口を比較してみると、日本のそれが7万人なのに対して、アメリカでは200万人を超えている。アメリカでは、もはや刑務所が不足して入所させることができず、労働義務を課して刑を済ませているという状況にある。日本とは比較にならないほど社会が不安定なのだ。
確かに日本も、昔に比べれば治安が悪くなったかもしれないが「絶対的レベル」ではまだまだ安全な社会である。アメリカとはまるで違って、夜の地下鉄は依然として安全だし、夜に暗い道を歩いても強盗に襲われる心配はあまりない。
企業の現場でも同様で日本では、就業時間中に製造現場でタバコを吸ったり作業をサボったりする社員はいない。ほとんどの人が真面目に働いている。
よく「最近の若い人はーー」というが日本人の持っている本質的なものが変化したわけではなく少しくらい変化したといっても他の国から比べればほとんど変化していないことが多い。
日本人が以前のとおり真面目に働き品質の高い製品をつくり続けられれば、日本企業はこれからも生き残っていけるだろう。


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正義の話

「これからの正義の話をしよう」というマイケル・サンデル博士の書いた本がベストセラーになっている。そのサンデル博士の東大安田講堂での白熱した講義をビデオで見た。
その中で「東大入試にはちょっと点が不足する学生の父親が数十億の寄付をするといったら、その入学を認めるか」という質問に対しほとんどの学生が「フェアでないので認めない」と答えた。サンデル博士は「3000人入学するうち数人程度それを認めたら研究施設も図書館も充実されるからいいではないか」と言ったがほぼ全員NOであった。
「正義に反する」ということなのだが本当にそうだろうか?
第一そもそも学業の成績だけで入試判定することが正しいのだろうか。学生には学業以外の例えばスポーツや音楽の得意な人、ボランティア活動に熱心な学生も入学させてもいいのではないか?実社会では東大出身者はそれなりの評価は受けるが結局はペーパーテストの力だけではなく全人格的な勝負であることは誰でも知っている。
そもそも東大生の親の年収は一般の大学に比しはるかに多く家庭教師や高い受講料の塾に通えるという学業に恵まれた人たちとそうした経済力はもたない親の子とではもともとフェアな条件とはいえないのではないか?
アメリカの大学の入試判定は学業の成績だけではなくボランティアしたかどうかなどさまざまな要素を加味して決めるというし前アメリカ大統領のブッシュのように親が富裕ということで入学が認められるケースもある。
アメリカがこのような学業だけではなく多様性を重視するのはそれが結果として学生や大学にそれなりの恩恵をもたらすからだろう。
それにしてもこうした東大生の反応は日本の文化を象徴しておりそれはそれで純粋ではあるもののこの国のダイバーシティ浸透は大変なことだと思わざるを得なかった。


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