佐々木常夫 オフィシャルWEBサイト


コラム トップへ戻る


佐々木常夫流・7つの習慣
 
佐々木常夫流・7つの習慣(その5)

2015.6.28

第1の習慣:主体的である

人生に制約があるのは当たり前 制約がある中で主体的に生きる


■どんな不遇な状況に置かれても、自分の責任として引き受ける

 「7つの習慣」のうち、第1から第3までの習慣が目標にしているのは、「依存」の状態から脱して「自立」した人間になることである。そして自立した人間になるために、まず第1の習慣としてコヴィー氏が挙げるのが、「主体的である」こと。
では「主体的である」とはどういうことなのか。コヴィー氏はこんなふうに定義している。

「主体性とは、自発的に率先して行動することだけを意味するのではない。人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する。私たちの行動は、周りの状況ではなく、自分自身の決定と選択の結果である。私たち人間は、感情を抑えて自らの価値観を優先させることができる」(『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』P81)
 
ここでコヴィー氏が言う「自分の人生の責任を引き受ける」というのは、たとえどのような不遇な状況に置かれても、「育った環境が悪いから、自分はこんなに不幸になったんだ」とか、「妻が身勝手だから、こんなに冷え切った家庭になってしまったんだ」というふうに、物事がうまくいかない理由を環境や人のせいにせずに、その状況を自分の責任として引き受けるということである。
 人生はままならないことの連続である。私たちは生まれてくる家庭を選ぶことはできないし、容姿や頭脳も自分で選ぶこともできない。「もっとお金持ちの家に生まれたかった」とか「もっと美人(美男子)に生まれてこられれば良かったのに」と思ったとしても、それはないものねだりだ。また第一志望の大学や会社に進学や就職ができるとは限らないし、会社に入ったら入ったで、不本意な部署に配属になったり、時には左遷をされることもある。
 しかしコヴィー氏は、「それでも人は主体的に生きることができる」と言う。環境は自分では選べないし、思わぬ災難が降りかかってくることもあるけれども、大切なのはその環境の中で「自分はどういう選択をしていくか」ということだからだ。


■上司は選べないが、選べないなりにできることはたくさんある

 たとえば相性が悪く、自分のことを嫌っている上司の下で働くことになったとする。上司は自分の行動や努力をまったく評価してくれず、何をやっても必ず上司と衝突する。私も経験があるが、こんなときは「もうやってられないな」という気持ちになってしまいがちだ。
 けれども「やってられない気分」だからといって、自分からは何も行動を起こさず、状況を甘んじて受け入れているだけなら、事態はいっこうに好転しない。もちろん運が良ければ、次の異動の時期に上司が別の部署に移ることになり、替わりに相性抜群の上司が自分の部署にやって来るかもしれない。でも運が悪ければ、いつまで経っても異動がなく、ずっとその上司の下で働き続けなくてはいけなくなる可能性もある。
 つまり自分から主体的に動こうとせず、状況が変わるのをただ受け身で待っているだけならば、すべては運次第ということになる。自分の人生を運に任せてしまうことほどリスキーなことはない。
だからコヴィー氏が言うように、私たちは「主体的である」という習慣をまず第1の習慣として身につけることが大切になる。主体的にならないことには、自分の人生を自分で切り拓いていくことはできない。主体的であることは、すべての習慣の出発点となる。

「第1の習慣『主体的である』の後に続く六つの習慣を勉強していくと、主体性という筋肉が他の六つの習慣の土台となることがわかるはずだ。どの習慣でも、行動を起こすのはあなたの責任である。周りが動くのを待っていたら、あなたは周りから動かされるだけの人間になってしまう。自ら責任を引き受けて行動を起こすか、それとも周りから動かされるのか、どちらの道を選ぶかによって、成長や成功の機会も大きく変わるのである」(『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』P89)
 
ちなみに相性が最悪の上司の下で働くことになったときの例でいえば、私の場合は自分から上司に働きかけることによって、最終的に関係を改善することができた。「その上司が、私の仕事のやり方のどこに不満や不安を感じているか」をリサーチして、彼が抱いている不満要素や不安要素を徹底的に潰していったのだ。
 やがてその上司は私のことを信頼していろいろなことを任せてくれるようになり、仕事がうんとやりやすくなった。よく「部下は上司を選べない」という人が言うが、選べないなりにもできることはある。

■制約があるからこそ、乗り越えたときの喜びが大きくなる

 先ほども話したように、人生はままならないことの連続である。さまざまな制約がつきもの。生まれつき頭脳明晰で眉目秀麗、家庭にも恵まれていて仕事も順調、これまで挫折らしい挫折を味わったことなど一度もないという人は、おそらく世の中に一人もいないはず。
 仮にもしそういう人物がいるとしても、「そこまで恵まれすぎた人生は、そんなにおもしろいものだろうか」という気もする。人はあまりに多くのものをあらかじめ与えられすぎていると、自分で成し遂げたことが何一つない気がして、かえって不安になってしまうのではないか。
 だから私は、人がある程度の制約の中で生きなくてはいけないこと自体は、けっして悪いことではないと思っている。私は母子家庭の4人兄弟という経済的に貧しい家庭で育った。だから大学に進みたいならば、学費が安い国立大学しか選択肢はなかった。そこで4人の兄弟が4人とも奮起して一生懸命勉強し、全員国立大学への進学を果たすことができた。これがもし経済的に豊かな家庭で育ったならば、こんなことはなかったはず。
 制約があればあるほど、人はその制約を乗り越えられたときに大きな喜びを覚える。成長にもつながるし、自信にもなる。そして何よりさまざまな制約を乗り越えて新しい道を切り拓いていくことは、すごく楽しいことでもある。
 私は流通改革が必要な部署や、赤字事業の立て直しが必要な部署のリーダーを務めたことが何度かある。自ら主体性を発揮して状況に働きかけることで、状況が改善していく様子を見ることほどおもしろいことはない。周りの人たちも「佐々木はここまでやったのか!」と驚いてくれるし、喜んでくれる。
だから一度主体性を発揮して状況を変えるという経験を味わうと、どんな場面でも主体性を発揮せずにはいられなくなってしまう。制約に縛られた人生を嘆いている暇はなくなる。
 もしみなさんの中に、周りが動くのをいつも待っていただけで、自分から状況に働きかける経験をしたことがない人がいるとしたら、一度でいいから主体性を発揮して状況を変えるという経験をしてみてほしいと思う。もう受け身の人生を送ることなど、きっとできなくなるはずだ。


・佐々木常夫流・7つの習慣(その1)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その2)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その3)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その4)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その5)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その6)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その7)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その8)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その9)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その10)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その11)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その12)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その13)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その14)
・佐々木常夫流・7つの習慣(その15)