私はこの数年間、著書や講演を通じて「仕事も大切であるが自分の生活も大切にしよう」というワーク・ライフ・バランスの必要性を説いてきた。 ある講演が終わって「私は仕事は定時に終え早く家に帰りたいのですが職場はみなすぐには帰らないため帰りにくい雰囲気なのです。どうしたらいいでしょうか?」という質問があった。私は「帰りにくくて帰れないなら帰らなければいいでしょう。早く帰ってやりたいことがあるなら早く帰ればいいでしょう。それは貴方自身が決めることであって私ではありません」と応えたことがある。 自分は何者であるか、どんな仕事や生活をしたいのか、どんな人生を目指したいのかといったことは自分でよく考え実践すべきでそういった自分の生き方の基本は例えば会社に入ったとき、30歳になったとき、課長になったときなど節目節目に自らたな卸しすべきだろう。そういったことが自分や周りの人そして社会を正しく理解し自分が幸せになることに繋がると思う。 人は会社や他人のために生きているのではなく自分のために生きている。 人は一人ひとり自分の人生の主人公なのだ、その席を決して他人に譲ってはならない。そのためにはそれなりの「決意と覚悟」が必要で節目の時期に自分のたな卸しをして自分の生き方を確認する必要がある。 自分を大切にすること、つまり自分自身が幸せになることを目指し努力すべきと思う。
百年前に書かれたSF小説を今読むと大抵のことは現実化している。 百年前には荒唐無稽と思われたテレビ、飛行機、ロボットなどは我々にとっていまや身近な存在である。 では当時のSF作家が神の如き慧眼で未来を見通していたかというとそうではなく当時の人たちが「こんなものがあればいいよね」と思った夢や憧れを小説として書いただけだ。 当時の技術では実現不可能と思えるものでも、その後の科学の進歩で実現可能になっていった。 昔は天気予報も台風情報もわかる術がなくある日突然台風が来て壊滅的被害を受けたりしたが今は前もって備えができる。 結核は不治の病だといわれたが今はそんなことはないしさまざまな病気が医学の進歩で克服されている。 昔、空を飛ぶということは危険に満ちたことで飛行機などそれこそ「とんでもない」乗り物だったろうがいまやあぶないから乗らないという人はほとんどいない。 科学の可能性というのはどこまでいくのだろうか。 では宇宙旅行や原発はどうだろう。なんとなく宇宙へはいつかは一般の人も安全に行けそうな感じがする。 そうしたら原発はどうだろうか。 フランスなどは人類の英知で安全に稼動させかつ環境に優しいエネルギーとして保持し続けたいと考えているようだ。それに対しいまやドイツやもちろん日本もこんなに危険なものは廃絶すべきだという人が多い。 今回の原発の事故はリスク管理の怠慢から起こったことに過ぎないのではないのか。仮にあのような津波が来ると想定していたら事故は防げたのではないのか。 このような原発擁護のことを書くと非国民のように思われるが原発は全廃すべきというあまりに右から左に飛んでしまう発想はもう少し柔軟に考えてもいいのではないだろうか