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こんなリーダーになりたい

02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力


渋沢栄一は今の埼玉県深谷市の農村の息子として生まれさまざまな運命を経て実業家として活躍した。日本初の銀行などおよそ500の会社と600の教育福祉事業の設立に関与し「日本の資本主義の父」とも呼ばれている。
私の渋沢栄一との最初の出会いは彼の著書「論語と算盤」である。
論語は道徳で、算盤とは経済のことであるがこの本の中で渋沢は経済では「公のために尽くす」といった確固とした倫理観と道徳観が必要であると述べている。論語にある道徳と利益を目的とする経済という一見かけ離れた二つを融合させるということを渋沢は明治の初期にやってみせた。
ピーター・ドラッカーは渋沢を「日本の誰よりも早く経営の本質は「責任」に他ならないということを見抜いていた」と40年前の「マネジメント」で書いている。渋沢の行動は一貫して「世のため人のため」という私心のなさで貫かれている。
資本主義に対する彼の思想は、時代や国境を越えているかのようだ。
「論語と算盤」が契機となって私は彼に興味を抱くようになった。
渋沢栄一の最大の特徴はその類稀な好奇心であり全身が受信機の塊のようなもので、どのような逆境に置かれても逆境を意識する暇がないほど取りつかれたように興味を持ち勉強し提案する。
自藩武州の代官所を襲う計画がばれて、郷里におられず逃げ込んだ京都の一橋家に拾われ、そこで毎日勉強し何度も提案した建白書が主君の慶喜に認められる。
パリの万国博覧会に15代将軍慶喜の弟清水昭武が派遣されるが、随行する尊王攘夷の水戸藩と幕府の外国奉行の混成チームをまとめられるのは渋沢だろうということでフランスに一緒に行くことになる。異常な好奇心を持つ彼は、パリの下水道の中を歩き回り、アパートの賃貸契約のやり方などをすべて書き留めるなどヨーロッパの文化と知識を吸収していく。
吸収魔といわれるほどの受信能力を持つところが、彼の強みでありこうした性格が何でもない農村の一少年を日本最大の経済人に仕立て上げた。
パリにいる間に幕府は倒れ、新政府から急遽帰国させられる。主君の徳川慶喜は隠居して静岡に謹慎していたので自分もその近くに住む。
パリで勉強しまくったという評判を聞いて大隈重信が新政府の大蔵省へ来るよう説得し、そこで持ち前の吸収魔と行動力で地租改正、鉄道敷設、暦の改訂などの大仕事をしていく。
その後、強烈な生き方を積み重ねどのような困難なときでも初心を失わず、ぶれない性格が形成されていく。
渋沢のもうひとつの特徴は対人関係能力である。彼は晩年に至るまでいつも自分の目の前にいる人にこころのすべてを傾けて対応した。どんなときでもどんな人に対しても同じ態度だった。いつも初心を忘れず自分に安住せず人から学ぼうとする力。
私はその人が成長するかしないかは出会った人や経験から学ぶ力があるかどうかが大きいと考える。私はそれを学ぶ力のある人、即ち「学力がある人」と呼ぶが、学ぶ力がある人は人や経験から学ぼうとする「謙虚さがある人」だ。
なぜ渋沢がそうしたかというとどんな人にも必ず良いところがあり、それを学ぼう、認めよう、引き出そう、伸ばそうという強い信念があったからだ。
簡単に人を馬鹿にしたり否定したりもしない、リーダーというのはどんな人も受け止め認めるという「懐の深さのある人」である。
渋沢栄一は明治維新後における日本経済界をリードし「日本資本主義の父」と呼ばれた。第一国立銀行、日本郵船、キリンなど数多くの会社を興すなど日本経済発展のもとを作り上げた明治時代の最大の経済人で、その存在感は今でいったら日本経団連会長の10倍以上であったであろう。そして彼がそれほどのリーダーになった理由は、その類稀なき好奇心とすべての人を受け入れる人間関係能力であると先週書いた。
しかし彼の著した「論語と算盤」を読むとそうした渋沢の性格や行動の多くは論語から大きな影響を受けたことがわかる。
論語を愛読するリーダーは多いが、おそらく渋沢ほど論語を自分の人生のバイブルと位置づけ、繰り返し読み、考え、身に付けてきた人はいないといってもいい。
論語は、今をさかのぼること2千5百年ほど前、中国の春秋という時代を生きた孔子の言葉を集めた語録で、この本に収録されている章句の数は5百くらいで、短いものは五文字、長くても三百字。全部で一万三千余字。四百字詰め原稿用紙では、きっちり詰めて書いたら三十数枚にしかならない。
マックスウェーバーは、キリスト教プロテスタントの宗教的倫理観に基づく思想によってこそ資本主義は発展するとした。つまり経済活動においては誠実かつ勤勉であることが重要だと指摘した。それに対して、渋沢は武士道精神、特にその中核になっている論語の教えこそ日本ビジネス道の基本としなくてはならないと考えこの本を著した。
日本を開国しいち早く経済を立ち上げようとしたとき、そのコアにあったものが武士道であり論語であったということは興味深い。
渋沢が多くの官界からの誘いがありながらそれを断り、経済界で仕事をすることを決意したとき、友人が「卑しむべきお金に目がくらんだのか」と批判した。これに対し彼は「お金を扱うことがなぜ卑しいのか、君のように金銭を卑しむようでは国家は成り立たない。官が偉い、身分が大事ということはない。人間の勤むべき仕事はすべて尊い。私はビジネスを論語の教えで一生貫いてみせる」と反論したという。
事実、彼はこの後、500もの会社を設立し日本の近代経済をリードする礎を築いていくわけだがその成功の原動力は論語の思想の実践にあったといってもいい。論語をそらんずるまで読み込み骨の髄まで身に付けていった結果、論語が渋沢のあらゆる行動の起点になった。
「私心を入れない、逆境は人を育てる、誠実と思いやりを大切に、自分を知る、大事と小事の扱い方、目の前の仕事に全力を尽くせ、常識とは何かーーー」このような論語の考え方を事業経営の基本的考え方と位置づけることによって事業の成功に結び付けた。
たしかにリーダーは生まれながらの資質によるところ大であるが、それ以外にその人の周りにどのような指導者がいたかとかどのような書物に出会ったか、そしてその中で努力することで優れたリーダーになっていくこともある。
そういう意味ではリーダーは生来のものではなく人生の中で育んでいくもの、経験の中で自ら掴み取っていくものともいえる。
日本人にとっては渋沢が論語に出会ったことは僥倖としなくてはならない。


目次
01. 土光敏夫 無私の心
02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力
03. 上杉鷹山 背面の恐怖
04. 西郷 隆盛 敬天愛人
05. 広田弘毅 自ら計らぬ人
06. チャーチル 英雄を支えた内助の功
07. 毛利元就 戦略とは「戦いを略す」こと
08. マザー・テレサ 最も神の近くにいる人
09. ハロルド・ジェニーン プロフェッショナルマネージャー
10. 孔子 70にして矩をこえず
11. 栗林忠道 散るぞ悲しき
12. 小倉昌男 当たり前を疑え
13. スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣
14. 吉田松陰 現実を掴め
15. キングスレイ・ウォード 人生に真摯たれ
16. 本田宗一郎 押し寄せる感情と人間尊重
17. 徳川家康 常識人 律義者 忍耐力
18. ヴィクトール・E・フランクル 生き抜こうという勇気
19. 坂本龍馬 謙虚さゆえの自己変革
20. 浜口雄幸 男子の本懐
21. 天璋院篤姫 あなどるべからざる女性
22. 新渡戸稲造 正しいことをする人
23. セーラ・マリ・カミング 交渉力とは粘り強さ
24. エイブラハム・リンカーン 自分以外に誰もいない
佐々木のリーダー論

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