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教育: 2011年7月アーカイブ

「知る」と「識る」は違う

昔、私の会社に「3賢人」と呼ばれていた人がいた。1年間に200冊以上の本を読む人たちで何を聞いても答えられるいわば「物知り博士」であった。
この3人に共通したことがあった。それは3人とも仕事ができないというかやらないということだった。
仕事は知識をもっているだけでは良い結果が出ない。熱いパッションと実行力がいる。
私は東レ経営研究所で人材育成の仕事で研修などをしていて開講の挨拶をすることがあるがそのとき「皆さん、このような研修を受講しても何の役にも立ちませんよ。ただ皆さんの中で10人に一人か二人、この研修で学んだことを職場で実践する人がいます。そういう人のために私たちはこの研修しているのです」ということがある。
私の会社で講演会を開いたりすると話が終わって「今日は○○さんのいい話を聞いた」と言って帰る人がいる。その人にとっては単純に「いい話を聞いた」と言うことだが所詮「いい話を聞いた」いうだけである。
それがどうしたというのだ。「いい話を聞いた」「いい本を読んだ」「いい映画を観た」などただそれだけでそのことを自分の行動に落とし込まない知識をいくら積み重ねてもなんの役にも立たないと思う。
ある新聞のコラムで私は「多読家に仕事ができる人は少ない」と書いたことがあるが、その意味はただむやみに本を呼んでもそのことを自分で考えなくては本物にはならないと考えたからだ。
「知る」は単に「見た」「触れた」というだけで一瞬は頭に入ってもすぐに消えてしまう可能性があるが「識る」は頭に納められ、培うものである。
自分の生き方、考え方、性格、経験に応じて自分なりにその知識を吸収していってはじめて本物になっていく
「学びて思わざればすなわち暗し」(論語)


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