最近、私は官庁の課長クラスの勉強会で「行政(官庁)の人のリーダーシップ」について話をして欲しいと頼まれました。彼らが何ヶ月もリーダーシップ論を勉強してきたと聞いて、やや揶揄して題は『リーダーシップってなんのこと』として次のような話をしました。
リーダーシップに一般論はない それまでの勉強会で元事務次官や局長などから聴いたことを議事録で読みましたが「リーダーは先見性、洞察力、実行力が必要」「リーダーはビジョンを持て」「常に明るく」「部下を褒めろ」「改革力が重要」などのような内容でした。 では一体どうしたら先見性や改革力を持てるようになるのでしょう。そのような能力は持って生まれた資質と幼児期の教育によるものが大きくリーダーシップ論をいくら深堀りしても身に付くわけではないと思われます。 それに人の個性はさまざまで、性格の暗い人もいれば部下をうまく褒められない人もいる。両面を持つ楽天の野村監督などその最たる例ですが、だからといって彼にリーダーシップがないとは言えません。人はそう簡単に自分を変えられないもので、その人の持っている性格・人間性・能力に応じて行動するしかないと思います。 そういう意味ではリーダーシップに一般論はないとも言えます。 もう一つ、最近慶応大学の竹中平蔵教授の『構造改革の真実』という本の中に各官庁のトップがとったいくつかの行動が紹介されています。例えば、郵政民営化で小泉改革に抵抗した総務省幹部2人が更迭された事件、道路公団民営化で事務局の立場を利用して骨抜き工作をした国土交通省幹部、さらに財務省が自分たちの路線に与しない税制調査会の本間会長を官舎愛人同居というスキャンダルで引きずり下ろしたというエピソードなど。 このような例を見ていると、行政(官僚)の方にはあまりリーダーシップを発揮してもらわない方が良いとも言えます。つまり志の無いリーダーシップは傍迷惑だということです。 リーダーシップは自ら学んで掴み取るもの 私は彼らが抽象的、建前的リーダーシップ論に多くの時間を費やしているのでやや皮肉っぽく話したまでで、本当に考えていることとは少し違います。 私は会社生活の中で、若いころはそれほど目立たなかったが40代、50代になってからリーダーとして力を発揮する人を何人も見てきました。 どうしてそうなるのでしょうか。それは仕事に対する取り組み姿勢や人を理解しようという努力の積み重ねがその人をリーダーに育て上げていくからだと思います。 私は以前新聞のコラムに「仕事はもっと脳細胞を使って」ということを書いたことがあります。仕事を効率的に遂行するため、徹底的に頭を使ってビジネスマンとしてプロにならねばならない、つまり仕事力は能力ではなく努力であるといいました。 私はリーダーシップも同じではないかと考えています。 多くの人は組織の中で課長なり部長という責任ある立場になったとき、どのように行動したら組織として成果が上げられるのかを真剣に考え始めます。 例えば中長期的に結果を残すためには、ビジョンや目標設定をしなくてはならない、部下の能力を引き出すためには、褒めることも必要だが、時には厳しく叱責することもしなくてはならない、そういう姿を部下や周囲の人たちが評価する中でその人のリーダーシップが確立されていくのではないでしょうか。 リーダーシップは自ら学んで掴み取っていくものです。
ウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたセーラ 少し古い話ですが、月刊誌「日経ウーマン」が主催する「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002年大賞」にセーラ・マリ・カミングスさんが選ばれました。先般そのセーラさんにインタビューをしてきましたが近年、お会いした人の中で最も感動し・感銘を受けた方の一人でした。 彼女の特質は「戦略あっても計算なし」「悩む前にまず行動」という二つに言い尽くされそうです。そのひたむきさと行動力はあきれるほどで、大袈裟に言うならば私たちの数倍生き抜く力が大きいのではないかと感じるほどでした。
交渉力とは粘り強さのこと 長野駅から電車で北へ30分ほどのところにある小布施町にセーラさんが来たのは今から10年前。17代続いた老舗の「枡一市村酒造場」という会社で仕事を始めたセーラさんは「ここに自分の居場所がある」と感じ、町起こしのため、次々に大仕事をやり抜いてきました。小布施町ゆかりの葛飾北斎を町起こしのシンボルにしようと、従来ヴェニスで開催されていた国際北斎会議(北斎は日本より欧州での評価が高い)を小布施に招致することを、持ち前の実行力で実現させたのが皮切りでした。 長野冬季オリンピックではアン王女と英国選手団のいわば民間特命大使役を担い、選手団へのおみやげとして五輪カラーの蛇の目傘150本を3カ月以内に作ろうと思い立ち、30社に断られながらも粘り腰で交渉し、ついに京都の内藤商店を口説き落としました。 酒蔵を改造した和食レストランの設計には著名なアメリカ人デザイナーであるジョン・モーフォードに香港まで出掛けて頼みこみ、17代続いた造り酒屋にふさわしい和食レストランを作りあげました。そのレストラン「蔵部(くらぶ)」は町の店が通常5時で閉店するという常識を破って10時まで営業し、多くのお客を呼び寄せることに成功しました。 また、酒造りでは欧米人としては初めて「利酒師」の資格を取り、一般のお酒とは差別化された新酒「スクエアワン」を開発しました。 一方、町の人達はコミュニケーションの場を求めているし、必要だと考え、毎月一回「小布施ッション」を開催し、著名人を講師に呼ぶなど、知的で遊び心に満ちたイベントの立ち上げにも成功しました。 人口1万2千人の町に、昨年は120万人の観光客が訪れたといいます。 「私に何か能力があるとすれば、それは粘り強さです。交渉力とは粘り勝ちする能力のことです」とセーラさんは言っています。
セーラが見つけた日本、日本が見つけたセーラ 彼女の持論は「日本の地方には本当に古き良きところがたくさんあって、それを引き出し、地方の活性化につなげなくてはならない」というものであり、小布施はその成功例といえます。つまりセーラさんが日本を見つけ出したわけです。 ただ彼女のひたむきさや行動力をその周囲の人達が理解し、ひとつひとつ夢を実現していったことが成功の背景にあります。そういう意味では日本がセーラさんを見つけたわけです。 インタビュ-を終えて小布施の町を散策し、北斎ゆかりのお寺や住居を見、改めてセーラさんの成果の大きさを感じました。 セーラさんはインタビューを受ける前に東レという会社、繊維のことを勉強していたに違いありません。インタビューの中でありありとその事実がわかります。セーラさんはただやみくもに行動をしているわけではなく、相手を思いやる気持ち、気配り、そして人を楽しくさせる会話や行動に心がけています。
人を活かすのは周りの人と環境 セーラさんがアメリカのペンシルバニアにいたとしたら、これほど活躍したでしょうか。もちろん、生来の明るさと行動力で何がしかの結果は残したでしょうが小布施ほどではないでしょう。 これは、1人の人間に特長があってもその人を活かし何かを実現させるのは、その周りにいる人達であり周りの環境ともいえるのではないでしょうか。私たちが会社の中、社会の中で一人一人の良さを認め、その人を真に活かすようにしなくてはならないと、少し大袈裟な話になりましたがそんなことを感じさせられた一日でした。