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セーラが町にやってきた

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ウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたセーラ
少し古い話ですが、月刊誌「日経ウーマン」が主催する「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002年大賞」にセーラ・マリ・カミングスさんが選ばれました。先般そのセーラさんにインタビューをしてきましたが近年、お会いした人の中で最も感動し・感銘を受けた方の一人でした。
彼女の特質は「戦略あっても計算なし」「悩む前にまず行動」という二つに言い尽くされそうです。そのひたむきさと行動力はあきれるほどで、大袈裟に言うならば私たちの数倍生き抜く力が大きいのではないかと感じるほどでした。

交渉力とは粘り強さのこと
長野駅から電車で北へ30分ほどのところにある小布施町にセーラさんが来たのは今から10年前。17代続いた老舗の「枡一市村酒造場」という会社で仕事を始めたセーラさんは「ここに自分の居場所がある」と感じ、町起こしのため、次々に大仕事をやり抜いてきました。小布施町ゆかりの葛飾北斎を町起こしのシンボルにしようと、従来ヴェニスで開催されていた国際北斎会議(北斎は日本より欧州での評価が高い)を小布施に招致することを、持ち前の実行力で実現させたのが皮切りでした。
長野冬季オリンピックではアン王女と英国選手団のいわば民間特命大使役を担い、選手団へのおみやげとして五輪カラーの蛇の目傘150本を3カ月以内に作ろうと思い立ち、30社に断られながらも粘り腰で交渉し、ついに京都の内藤商店を口説き落としました。
酒蔵を改造した和食レストランの設計には著名なアメリカ人デザイナーであるジョン・モーフォードに香港まで出掛けて頼みこみ、17代続いた造り酒屋にふさわしい和食レストランを作りあげました。そのレストラン「蔵部(くらぶ)」は町の店が通常5時で閉店するという常識を破って10時まで営業し、多くのお客を呼び寄せることに成功しました。
また、酒造りでは欧米人としては初めて「利酒師」の資格を取り、一般のお酒とは差別化された新酒「スクエアワン」を開発しました。
一方、町の人達はコミュニケーションの場を求めているし、必要だと考え、毎月一回「小布施ッション」を開催し、著名人を講師に呼ぶなど、知的で遊び心に満ちたイベントの立ち上げにも成功しました。
人口1万2千人の町に、昨年は120万人の観光客が訪れたといいます。
「私に何か能力があるとすれば、それは粘り強さです。交渉力とは粘り勝ちする能力のことです」とセーラさんは言っています。

セーラが見つけた日本、日本が見つけたセーラ
彼女の持論は「日本の地方には本当に古き良きところがたくさんあって、それを引き出し、地方の活性化につなげなくてはならない」というものであり、小布施はその成功例といえます。つまりセーラさんが日本を見つけ出したわけです。
ただ彼女のひたむきさや行動力をその周囲の人達が理解し、ひとつひとつ夢を実現していったことが成功の背景にあります。そういう意味では日本がセーラさんを見つけたわけです。
インタビュ-を終えて小布施の町を散策し、北斎ゆかりのお寺や住居を見、改めてセーラさんの成果の大きさを感じました。
セーラさんはインタビューを受ける前に東レという会社、繊維のことを勉強していたに違いありません。インタビューの中でありありとその事実がわかります。セーラさんはただやみくもに行動をしているわけではなく、相手を思いやる気持ち、気配り、そして人を楽しくさせる会話や行動に心がけています。

人を活かすのは周りの人と環境
セーラさんがアメリカのペンシルバニアにいたとしたら、これほど活躍したでしょうか。もちろん、生来の明るさと行動力で何がしかの結果は残したでしょうが小布施ほどではないでしょう。
これは、1人の人間に特長があってもその人を活かし何かを実現させるのは、その周りにいる人達であり周りの環境ともいえるのではないでしょうか。私たちが会社の中、社会の中で一人一人の良さを認め、その人を真に活かすようにしなくてはならないと、少し大袈裟な話になりましたがそんなことを感じさせられた一日でした。

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