私はかって、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」(原題は「心理学者、強制収容所を体験する」)を読んで、自分の人生観を根本的に修正した記憶がある。
この本は、優秀な心理学者であったフランクルが、ユダヤ人であるというだけで、妻子、両親ともアウシュビッツへ送られ、最後はダッハウの強制収容所に移送、そこで終戦、家族すべてを失うものの、奇跡的生還を迎える。その間に起こったこと、考えたことをまとめたものである。
冷静な視点で収容所での出来事を記録するとともに、過酷な環境の中、囚人たちが、何に絶望したか、何に希望を見出したかを克明に記した。
「夜と霧」は戦後間もなく出版され、英語版だけでも、900万部におよび、アメリカでは「私の人生に最も影響を与えた本」のベスト10入りした唯一の精神医学関係の書となっている。
この本が、時代を超えて多くの人たちに読まれるのは、単なる強制収容所の告発ではなく、人間とはいかなるものかという分析力の深さと、それを踏まえて、人生とは何か、人はいかに生きるべきかを問う内容だからである。
人生を生きる意味を自分の体験をもとに明確に世に発信した。
私は「リーダーとはその人の存在が周りの人たちに勇気と希望を与える人」と考えているが、フランクルのこの本を読むだけで、ほとんどの読者が勇気をもらえるという意味では、彼は優れたリーダーと言える。
彼の収容所での過酷な体験を知って驚くのは、人はなんでも可能だということだ。
自分の身体以外はすべて取り上げられ、ギュウギュウ詰めのベットで寝かされても、すぐに眠れる、一日に300グラムのパンと1リットルの水のようなスープでも生きていける、半年に1枚のシャツでもなんとかなる。
収容所の看守は、感情に任せ、囚人をただ意味もなく殴りつけるが、殴られることにも何も感じなくなるし、目の前で人が死んでいくことにも無関心になる。
まさに「人間は慣れる存在」(ドストエフスキー)なのだ。
収容所ではさまざまな選抜がされた。ガス室に送られるか、別な収容所に移されるかはちょっとした偶然で決まった。先が見えない中、収容所ではクリスマスに解放されるとのうわさが広まり、それが裏切られると、急に力尽きて死ぬ人が多かったという。
それは過酷な環境の中で、心の支え、つまり生きる目的を持つことが、生き残る唯一の道であるということだろう。
どんな時でも人生には意味があるとフランクルは言う。
「人は何のために生きるのか」というのは、こちらから問うことができるものではない。
「人生から問われていることに全力で応えていくこと」つまり「自分の人生に与えられている使命をまっとうすること」なのだ。
その人を必要とする「何か」がある。その人を必要とする「誰か」がいる。
その「何か」や「誰か」のためにできることは何か。それを全力で応えていく。
そうすることで自分の人生に与えられた使命をまっとうする。私たちの元にいつの間にか送り届けられている「意味と使命」を発見し実現していく。
私がフランクルのいくつかの本を読んで、自分の人生観を根本的に修正したと言ったのは、ひとつは、私が障害の家族や仕事のことで苦労したことなどは、フランクルの経験したことに比べれば、取るに足らないことだということもあるが、もう一つは「人は自分に与えられた人生で全力でその使命を果たすことが生きていく意味なのだ」、私の言葉でいえば「運命は引き受けるもの」ということを気付かせてくれたからである。
次に「どんなときにも生きる希望を持つ」というフランクルの基本的な生き方に触れたい。
フランクルがいたユダヤ人の収容所は、過重労働と飢餓の連続する悲惨な毎日であった。
あるとき、飢えかけた人がじゃがいも倉庫に忍び込み、数キロのジャガイモを盗んだ。
その収容所のきまりでは絞首刑である。当局は被収容者たちに対し、侵入者の引き渡しを要求し、拒めば全員一日の絶食を課すと伝えた。
2500名の仲間は、誰が盗んだかは知っていたが、その人を絞首台にゆだねるより断食を選んだ。食事が出なかったその日の夕方、収容所全体がすさんだ雰囲気になっていた。
その時居住棟の班長が「ここ数日間、病死したり、自殺したりした仲間を見ていると、死因はさまざまでも本当の原因は自己放棄である。どうしたら精神的な崩壊を防げるか、解説してほしい」とフランクルに頼んだ。
フランクルは立ち上がって次のような話をした。
我々の置かれている状況は、お先真っ暗で生き延びる蓋然性は極めて低い。
しかし私個人としては、希望を捨て投げやりになる気は全くない。
なぜなら、未来のことは誰にもわからないし、次の瞬間に自分に何が起こるかもわからないからだ。たとえ、明日にも劇的な戦況の展開が起こることは期待できないとしても、収容所の経験から、少なくとも個人レベルでは、大きなチャンスは前触れなくやってくることを私たちはよく知っている。ありがたいことに未来は未定だ。
人間が生きることには常にどんな状況でも意味がある。
今このとき、私たちは、誰かのまなざしに見下ろされている。誰かとは友かも、妻かも、神かもしれない。その見下ろしている誰かを失望させないでほしい。私たちは一人残らず、意味もなく苦しみ死ぬことを欲しないと。
フランクルが話し終わったとき、仲間たちの間に大きな感動が広がり、仲間の一人が立ち上がり、涙を流してお礼の言葉を発した。
フランクルの話は仲間たち全員に、生き抜こうという勇気と希望を与えたのだ。
この悲惨な状況の中でも、フランクルはいつの日かここで起こったことを本に著したり、講演で話そうという強い決意と目標を持っていた。
事実彼は解放の後、この本をわずか9日間で書き上げている。
このような理不尽な悲劇を風化させまい、経験者としての使命を果たしたいという大きな目標があったから、日々の苦難に耐え、奇跡的な生還に繋がったのだ。
いつかここを出て、結婚して9か月で別れざるを得なかった愛する妻と会いたいという強い希望も彼の生きようとする力を補強した。
心の中で愛する人の面影に思いを凝らせば生きていく力が湧いてくる。
愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだということを感じていた。
ニーチェは「何故生きるかを知っているものは、どのように生きるかということにも耐える」と言った。
何故生きるかは、前回書いた通り、「与えられた運命を引き受け、自分の使命をまっとうするため」である。
その時、運命を引き受け努力するに値するような目標や夢を持つことが、苦しみを乗り越える力となる。
日本では、1年間に3万人以上の人が自殺する。私の妻のように自殺未遂したという人はおそらくその10倍いる。苦しいことが起こり「死のうかな」と思った人はそのまた10倍いるだろう。
苦悩は誰にでも必ず訪れるが、苦悩は人間の「能力」のひとつでもある。
しかし、苦悩を乗り越えたとき、そこに光がある。
フランクルは身を持って私たちにそれを教えてくれた。
目次
01. 土光敏夫 無私の心
02. 渋沢栄一 好奇心と学ぶ力
03. 上杉鷹山 背面の恐怖
04. 西郷 隆盛 敬天愛人
05. 広田弘毅 自ら計らぬ人
06. チャーチル 英雄を支えた内助の功
07. 毛利元就 戦略とは「戦いを略す」こと
08. マザー・テレサ 最も神の近くにいる人
09. ハロルド・ジェニーン プロフェッショナルマネージャー
10. 孔子 70にして矩をこえず
11. 栗林忠道 散るぞ悲しき
12. 小倉昌男 当たり前を疑え
13. スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣
14. 吉田松陰 現実を掴め
15. キングスレイ・ウォード 人生に真摯たれ
16. 本田宗一郎 押し寄せる感情と人間尊重
17. 徳川家康 常識人 律義者 忍耐力
18. ヴィクトール・E・フランクル 生き抜こうという勇気
19. 坂本龍馬 謙虚さゆえの自己変革
20. 浜口雄幸 男子の本懐
21. 天璋院篤姫 あなどるべからざる女性
22. 新渡戸稲造 正しいことをする人 23. セーラ・マリ・カミング 交渉力とは粘り強さ 24. エイブラハム・リンカーン 自分以外に誰もいない 佐々木のリーダー論
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