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渋沢栄一に学ぶリーダーのあり方

2020.7.15

渋沢栄一は今の埼玉県深谷市の農家の息子として生まれさまざまな運命を経て後に実業家として活躍しました。日本初の銀行などおよそ五百の会社と六百の教育福祉事業の設立に関与し「日本の資本主義の父」とも呼ばれています。
私は若いころから渋沢が好きでひょんなことから出版社に依頼され今年1月に渋沢栄一の本「君から、動け。」(幻冬舎)を書きました。
渋沢には「論語と算盤」という著書があります。
論語は道徳で、算盤とは経済のことですが、この本の中で渋沢は経済では「公のために尽くす」といった確固とした倫理観と道徳観が必要であると述べています。
論語にある道徳と利益を目的とする経済という一見かけ離れた二つを融合させるということを渋沢は明治の初期にやってみせたわけです。
 ピーター・ドラッカーは渋沢を「日本の誰よりも早く経営の本質は『責任』に他ならないということを見抜いていた」と四十年前の「マネジメント」で書いています。
渋沢の行動は一貫して「世のため人のため」という私心のなさで貫かれています。
渋沢栄一の最大の特徴はその類稀なる好奇心であり全身が受信機の塊のようなものでどのような逆境に置かれても逆境を意識する暇がないほど取りつかれたように興味を持ち勉強し提案しました。
高崎城襲撃計画がばれ、郷里におられず逃げ込んだ京都で一橋家に拾われそこで毎日勉強し何度も提案した建白書が主君の慶喜に認められます。
パリの万国博覧会に派遣されたとき、異常な好奇心を持つ彼はパリの下水道の中を歩き回り、アパートの賃貸契約のやり方などをすべて書き留めるなどヨーロッパの文化と知識を吸収していきました。
吸収魔といわれるほどの受信能力を持つところが彼の強みでありこうした性格が何でもない農村の一少年を日本最大の経済人に仕立て上げたといってもいいでしょう。
パリにいる間に幕府は倒れ帰国しますが、パリで勉強しまくったという評判を聞いて大隈重信が新政府の大蔵省へ来るよう説得し、そこで持ち前の吸収魔と行動力で地租改正、鉄道敷設などの大仕事をしていきました。
渋沢のもうひとつの特技は対人関係能力です。
どんなときでもどんな人に対しても同じ態度でそしていつも初心を忘れず人から学ぼうとしていたのです。
私はその人が成長するかしないかは出会った人や経験から学ぶ力があるかどうかが大きいと考えます。学ぼうとする「謙虚さがある」ことです。
渋沢にはどんな人にも必ず良いところがあり、それを学ぼう、認めよう、引き出そう、伸ばそうという強い信念があったのです。
リーダーというのはどんな人も受け止め認めるという「懐の深さのある人」です。
 渋沢は明治維新後における日本経済界をりードし日本経済発展のもとを作り上げた明治時代の最大の経済人ですが、彼がそれほどのリーダーになった理由は、その類稀なる好奇心とすべての人を受け入れる対人関係能力でした。
『論語と算盤』を読むとそうした渋沢の性格や行動は論語から大きな影響を受けたことがわかります。
論語を愛読するリーダーは多いのですが、おそらく渋沢ほど論語を自分の人生のバイブルと位置づけ、繰り返し読み、考え、身に付けてきた人はいないといってもいいでしょう。
マックス・ウェーバーは、キリスト教プロテスタントの宗教的倫理観に基づく思想によってこそ資本主義は発展するとしました。つまり経済活動においては誠実かつ勤勉であることが重要だと指摘しました。
それに対して、渋沢は武士道精神、特にその中核になっている論語の教えこそ日本ビジネス道の基本としなくてはならないと考えこの本を著したのです。
日本を開国しいち早く経済を立ち上げようとしたとき、そのコアにあったものが武士道であり論語であったということは興味深いことです。
 渋沢が多くの官界からの誘いがありながらそれを断り、経済界で仕事をすることを決意したとき、友人が「卑しむべきお金に目がくらんだのか」と批判しました。これに対し彼は「金銭を卑しむようでは国家は成り立たない。官が偉い、身分が大事ということはない。人間の勤むべき仕事はすべて尊い。私はビジネスにおいて論語の教えを一生貫いてみせる」と反論したといいます。
リーダー的資質は生来のものではなく人生の中で育んでいくもの、経験の中で自ら掴み取っていくものといえます。
日本人にとっては渋沢が論語に出会ったことは僥倖としなくてはなりません。