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仕事: 2011年7月アーカイブ

営業の本質

百科事典を見ると「営業とは営利を目的として業務を行うことをいう」とある。
一方、営業とは企業活動の集合体を指す言葉としても用いられており営業活動とは「利益」を生み出すことを目的としたもの、つまり「事業を営む」ことである。
そのためには顧客の欲しいものは何かなどを適切に探り当てそれを適正な価格で供給しなくてはならない。したがって営業の本質は「モノを売る」ことではなく「知ること」であり「事実は何かというファクトファインディング」が出発点にないと成功しない。
そうした活動を通じて利益を獲得していくわけだからから企業行動や営業の最先端に顧客がいる。
そういうことからドラッカーは「会社の目的は顧客の創造である」と喝破した。
つまり企業がどのような行動をとるかはある意味顧客が決定することになる。
顧客が何をいくらでどれだけ買いたいかによって企業の行動が決まってくるし、顧客が気づいていない、製品化したら喜ぶモノやサービスを探し出し提供していく。
それを正しく遂行することによって「顧客に支持と満足をいただき」結果として「顧客に幸せをもたらすこと」が営業の最終の目的である。
そのために必要なマーケティングとは小手先のスキル、技法ではない。顧客を基点とした活動、つまり顧客のニーズを満たすこと、あるいは顧客のニーズを作り出すという大きな発想法であり仕掛けのことだ。だから例えば生産部門に適切な品質やコストを確保してもらうことも営業の大事な仕事といえる。
私は企業の理想の姿は営業しなくても商品が販売できる、そういう仕組みを作ることだとさえ思っているし新しいビジネスモデル(例えばコンビニを展開するなど)を作るなどイノベーションを興すことも大事な仕事だと考える。


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左遷を左遷にしてしまうのは自分

 最近アサヒビールの瀬戸元社長の回顧録を読んでいたらこの方が何度か左遷されたそれを乗り越えてきたことが書かれていて興味深かった。
長く会社員をやっていれば意に沿わぬ人事に会うこともあり、なかには明らかに左遷と思われるケースもある。 ただ、そうした左遷人事を本当の左遷にするかどうかは、つまるところ自分しだいである。左遷人事でも何かしら得るものはあるもので傍流の人たちと出会い、そこで今までにない考え方を発見したり、新しい人脈を築いたりできれば、その左遷は意味があったと言える。
 「左遷」というのはしょせん価値観の問題で「新天地」であり「新しい体験ができる場」と考えれば、それはたんなる人事異動であり左遷にはならない。
 左遷された原因は上司に嫌われたり煙たがられたといった、たんなる私情から起こることかもしれないがだからといって上司を恨んだところで何の益もない。
 上司だって人間で公平に接しようと思っても、かわいいと思う部下もいれば煙たく感じる部下もいる。理不尽と思うかもしれないが、組織に属する限りそれは仕方のないことだ。
 これをいい機会と捉えて奮起したり自らを省みるきっかけにする。自分ではまるで身に覚えがない不当と思える人事でも、よく考えれば思い当たるふしはあるものだ。
 組織の中で力を発揮し引き立てもらうには、周囲や上司を味方につけるための根回しなどの努力も必要でその意味では左遷されたのも自分の責任であり、逆に上司の覚えめでたく栄転すればそれもまた自分の力なのだろう。
 人は自分の器どおりの人生しか歩めないと考えれば、左遷されても社長の器の人はそれをバネにいずれ社長になるかもしれない。左遷されたことを恨みそこで腐って終わるようなら、それはそれでその人の器なのだろう。


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