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ビジネスマンのための論語
 
ビジネスマンのための論語(1回)

2015.4.11

『論語』とは弟子たちによる孔子の言行録である。孔子没後百年を経て儒家の一派により編纂され始め、約四百年かけて現在の形になったものである。
孔子は今から二千五百年前の紀元前五五二年、中国東部(今の山東省)の魯の国に生まれ、下級の役人となるが、それほどの立身出世もせず、不遇の時代が長かった。
五十二歳の時に今でいう司法長官になるものの、三年で失脚し流浪の旅に出る。六十九歳の時、祖国に戻り出世をあきらめ七十四歳で亡くなるまで弟子たちの教育に当たった。
孔子の人柄と教養は評判であったし、多くの優秀な弟子たちもいたが、秩序乱れる春秋時代ということもあって、本人はほとんど出世できなかったという恵まれない人生であった。それだけにその語る言葉は、自分の経験に裏打ちされた人間や社会のありようを深く捉えている。
孔子は『論語』の中でいくつかリーダー論を述べている。リーダーに一番大切なことは「仁」即ち「人を思いやる心」であり、そしてもう一つ大事なことは「言行一致」と言う。
「その身正しければ令せずして行わる」(為政者自身の主張や行動が正しければ命令しなくても人は従う)「民、信なくば立たず」(民に為政者への信がなければ立ちゆかない)
孔子はこの「思いやり」と「言行一致」をリーダーの要諦とした。
すなわち、リーダーというのは、常に他人に心配りしながら、人間として基本的な正しい考え方を持ち、それとぶれない行動をすること。
この論語に多大の影響を受けたリーダーが日本にも数多くいる。私が『こんなリーダーになりたい』(文春新書)という本で紹介した、渋沢栄一や広田弘毅などもそうである。私の場合ももっとも影響を受けたのが『論語』であった。
渋沢は『論語と算盤』の中で、論語の考え方を基礎に日本資本主義の骨格を作ったと述べているし、広田弘毅は毎日、どんな本を読んでも最後は必ず論語を読んでから就寝したという。いわば論語は、リーダーを養成する書物と言ってもいい。優れた人をますます磨き上げていくリーダー育成本である。

『論語』というと、かなり堅いイメージをもたれているが、孔子自身は行動的で、エネルギッシュ、情熱的で、人間はこうあるべきという理想を、生涯訴え続けた正論の人だった。論語には、人生で大切なことが鋭い洞察力で書かれており、いわば総合的人間学の書物といってよい。
結果より努力する過程を重んじているが、孔子は、金持ちになることや偉くなることを否定していたわけではない。
出世というのは、企業や社会で何事かを成し遂げるから得られるもので、出世それ自体を求めるのは本末転倒としながらも、人に讃えられる何かを成し遂げた結果として、手に入れる名声や財はいいことだと言っている。
要は目的と手段を取り違えてはいけないということだ。

この論語に収載されている章句は五百強、短いものは五文字、長くても三百字、全部で一万三千余字。四百字詰原稿用紙で三十数枚程度という短いもの。二千五百年前であってもその内容は普遍的なものを含んでいるうえ、極めて実用的である。人間社会の本質はいつの時代も変わらないようだ。
最近でも『論語』に関する本は店頭に数多く並んでいるが、ビジネスマンがビジネスの視点から論語を解説した本はあまり見かけない。
私のように定年まで普通のサラリーマンをしてきた人間が、『論語』にどう影響を受け、論語をどう解釈するかを紹介するのも一興と思う。

子曰く吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず


論語の中で最も有名な文章のひとつといってよく、孔子流の年齢における人生目標である。
孔子は七十四歳でその生涯を閉じたが、自分のそれまでの人生を振り返り、人生の指針を差
し示した。
十五歳になれば将来のことを考え学問をしたくなる。三十歳になれば精神的にも経済的にも自立する。四十歳になると物事に惑わされなくなり、五十歳では自分が成すべきことがわかる。六十歳を迎えると謙虚に人の言葉に耳を傾けられ、七十歳になったら自然に対応しても間違いを起こさなくなる。

 なんともレベルの高い人生目標である。
「三十にして立つ、四十にして惑わず」
 我々現代のビジネスマンにとっては、三十歳は普通の企業ではまだ係長クラス。いわば平
社員で、四十歳でやっと課長くらいになり、おどおど、ドキドキ、惑わざるを得ないことば
かり。
「五十にして天命を知る」
 
ほとんどのサラリーマンは五十歳にしてサラリーマンの限界を知ることになる。自分の人生とは何だったのか、自分がしてきたことの意味は何なのかと。
「六十にして耳順う」
 冗談ではない。多くの人は最も「耳逆らう」頑固な境地に入っていく。会社ではもう辞めて欲しいと思われ、家庭では家族から距離を置かれ始める。
 ただ漠然と時を過ごし、自分とは何か、どう生きるべきか問いもせず、ただ周りに合わせ流され生きてきたおかげであまり楽しくない老後を迎えることになってしまう場合が多い。このころは自分の人生を忸怩たる思いで振り返り、何か忘れ物をした気持ちを持っているのではないか。
もっともこの言葉は孔子のような偉大な人の人生目標であり、我々一般人はせいぜい七十歳で天命を知る程度で良しとしなくてはなるまい。

子貢問うて曰く、孔文子、何を以ってこれを文と謂うや。子曰く、敏にして学を好み、下問を恥じず、ここを以ってこれを文と謂うなり「子貢」は孔子の高弟、「孔文子」は衛の国の家老のことで、「下問」とは目下の人や若いひとに教えを乞うこと。
子貢が孔文子の人となりを質問したときの孔子の返答である。
孔文子が人に慕われ、死後に『文』の名をおくられて尊敬されたのは生まれつき利発な上に、学問好きで、自分にわからないことがあると目下のものにも教えを乞うことをためらわなかったからだ。人に訊くことを恥だと思ってはいけない。

私は三十歳を過ぎたころから、年上の人、年下の人、どちらに対しても、○○さんと呼んできた。若い人でも、特定の仕事で私を上回るスキルを持っている人はいくらでもいるし、私より年上の人でも私のほうが得意な分野がある。
年齢は関係なしに敬意を表しよう、年下の人であっても尊重しようという気持ちからであった。自分が社長になっても、社員には社長と呼ばせず「佐々木さん」と呼んでもらってきた。
こうした習慣は、特に部下にとっては、自分の長所を自覚することにつながるし、年長者にとっても、目下にものを聞くことをためらわせないといったメリットがある。
そして、どんな人も大事にするという自覚を自然に持つようになり、チームで仕事をしていく上でプラス作用となる。
それにビジネスマンは、いつ自分の部下が上司になるかわからない。もし追い抜かれたとしても、日ごろから○○さんと呼んでいたら呼び方に困る必要もないという、隠れた効用もある。
訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥。人に訊く習慣がつけば自然にできるようになり、そのことによる見返りは大きい。


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